見出し画像

こころがこころであるために

幸せになりたい。
きっと誰もが一度は思うことだろう。

幸せって。なんだろう。

幸せは定義づけできるものではないのかも。
わたしはわたしの幸せを。あなたはあなたの幸せを。

わたしらしいとか、あなたらしいとか、型にはめられているようで、
たまに苦しく感じる。

だから、私らしさを追い求めるんじゃなくって、自分のこころに向き合い続けることが一番だといまのわたしは感じる。

昨日まで夢見ていた、自分の姿や5年後の未来も、
昨日までわくわくしていた、私の夢も、
毎日何万回と考えればそりゃ変わる。それも意外ところころと。

全部が全部、まるっと変わるのではなく、言葉のニュアンスや表現が変わったり、根本の大事にしたいものはそのままで、枝の部分のやり方が変わったり。

わたしは「これだ!!!!」と信じ続けることもだけど、
毎日、毎秒、一瞬の私と向き合うこころの余裕と、どんな今の自分の答えも、まずは一度受け入れてあげること、大事だと思うなあ。

まだまだ、本当のこころの豊かさや生きる喜びを感じられるようになるために必要なことってあるのかもしれないけど、
こころがこころであること。これに尽きる。

誰かのものさしではなく、自分のものさしで、自分の感情・行動を見てあげる。

自分のこころに嘘をついている間は、本当の幸せには出会えない気がする。

それと、もう一つ。

幸せは自分のものだけではあってはならない
そう思う。

だって自分だけの幸せって、人を傷つけてしまうこともあると思うから。
わたしがあこがれている、瞑想家のえりさんはこんなことを言っていた。

意志の力で愛を選ぶ。
正しいか間違ってるかの選択じゃなくて、怖れか愛かで選択する。

って。すごく久しぶりに、「愛」というワードに触れて、まだうまく言葉にできないけど、
ありのまま・愛・幸せ・受け入れるっていう、今わたしが大切にしたい言葉同士がつながって、近いうちに私のこころの中に新しい想いが生まれそうな気がする。

いつか誰かに幸せを分けてあげられるエネルギーを自分の中で生み出すために、まずは自分が下す一つ一つの選択が、自分に対して愛のあるものであるか、気にかけてみる。

愛。一度私が大切にしようとしたものだ。

案外、愛なんてものが一番わからないのが私なのかもしれない。
そんな私もいとおしい。


最後まで読んでくれてありがとうございます。
苦しかったら、笑おう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?