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お見合いを数十回した、遠い記憶から思うこと

もう結婚して十年以上経つので、かなり昔のことではあるけれども、
昔、合計数十回のお見合いをした経験がある。
大体、23、4歳から十年間くらい。

娘がよほどしっかりしていないように見えたのか、先行きを心配した親が、かなり若い時期から話を持ってくるようになった。

婚活パーティとか、コンパとか、そういった出会いを求めてのイベントまで入れると、ひょっとしたら百回を越えていたんじゃないかと思う。
よくもまあそこまでの回数、続けたものだと思う。ちなみに結局、夫と出会ったのは友人の開いてくれたいわゆるコンパである。

そしてほぼ毎回それはそれは、メンタル的にしんどかった…(笑)
初対面の人と、数時間から半日、もし良ければいい仲になってもいいんですよ?という前提で、デートすることの辛さ。

あの辛さはなんだったんだろうと今でも考える。けれど、上手く説明できない。

いい出会いがあればと思っているのは切実に本当だったし、お金の大半は相手持ちで(平成時代前半の感覚です)、車も出して貰えることが多くて、連れて行ってもらえたり食べさせてもらえたりするのだ。

その話を断ったらいけないわけではないし、だったら、気軽にその場を楽しんできて、ひょっとして気に入る人だったらなお良し、と思えればいいのだけれど…。

けれどいわば、あれは先の見えない修行のような日々だった。

なかなか表面上だけでもニコニコするということができなくて、お仲人さんという間を取り持ってくれるおばあさんに、気がなさそうとか、愛想がないって相手の方に言われてますよ、と軽く怒られたりもした。

ちなみに、また会いたいな、と思う方には断られたりするのだ。そういうものなのだ。

今の人は、そういった出会いの大半はオンラインだったりするのだろうか。残念ながら、どんなふうかちょっともう想像がつかない。

相手を探している人に今、私の経験から言えることがあるとすれば…数打てば(いつか)当たるということもあるけれど、学校や職場や友達関係から発生するのに比べて、人為的に出会って恋愛にまで至るのは、かなり確率が低いということだろうか。

思いもかけないからこそ人は恋に落ちやすい、というのがやはり真実なんだろう。これはそのための場ですよ、そのための出会いですよと言われると、構えて肩に力が入ってしまうのが人なのだ、ということだろう。

それにそう、もちろん別に相手がいなけれればいけないわけではないし、存在するのは単純な男女という性別だけではなく、異性しか愛せない時代でもなくなっている。

それでも誰か、自分の相手、パートナーと呼べる人を見つけたいと思う人は…やはり、若いうちから、そして普段から周囲を見回すことだろうか。私はぽやーっと、十代二十代を過ごしてしまい、恋愛に対する感覚を磨かないままそのころを過ぎてしまった気がするので、三十前後に職場で出会った恋愛にも、うまく立ち回ることができなかった。

恋愛も得意な人と不得意な人がいるし、でも人生の重要な要素である人はなんだかんだ多いと思うので、恋愛をしたいと思うけど苦手、な私みたいな人なら…逃げずに、考えて動いていくしかないのかな、と思う。身もふたもないけれど。

私のしんどい経験も、これ一体何の修行?みたいな日々も…無駄にはなっていないのかな。そう思いたい。


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