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私が絵文字をあまり使わない理由


私はインターネット上では絵文字をあまり使わないタイプだ。
もっと言うと、”使いたいと思う絵文字がないからあまり使わずにいる"。使うとしても、Twitterの140文字の中で言うなら、1回か2回程度だろうか。

Twitchにあるような、スタンプみたいなものがあればまだ使っているかもしれないけど、多用するのは私の趣味ではない。


では、なぜ私は絵文字をあまり使わないのかというと。
程よい距離感を保つため。自分を律するためだ。


つかず離れず。馴れ馴れしすぎず、よそよそしすぎず。


「そういう気分じゃない」「絵文字を使うような内容じゃないな」っていう時には使わないようにするし、少し文章の雰囲気をやわらかくするためにこんな顔文字を混ぜることもある。(やりすぎないように気を付けてはいる)

|ω・)
※柱の陰とかに隠れてこっそり見ている顔文字


特に文章となると実際の気分や雰囲気が伝わりにくいので、句点(。)だけだとよそよそしい印象になるという意見もわかる。


とはいえ、顔文字や絵文字を使いすぎると今度はうるさい(馴れ馴れしい)印象を与えてしまうし、中には、大笑いしている絵文字のように、見るからにうるさいと感じる絵文字もある。同じ「うるさい」でも、目に訴えてくる「うるさい」のほうだ。


馴れ合いが過ぎてうるさい(馴れ馴れしい)という印象を与えてしまうのは百害あって一利なしなので、「親しみやすい雰囲気にするために」と安易に絵文字を盛り込むのは賢明とは言いがたい。


それに、絵文字を使うと目から入る情報がその分多くなるので、多くなるほど相手をイライラさせやすくなる。

一時期、「病院」などの名詞を全部絵文字に置き換えて書いてきた人がいたけど、私からすれば、意味を考えるのにも時間がかかるし、目がチカチカするので、ただただやりにくいなと感じていた。

こうした経験も、私の価値観に影響を与えているのかもしれない。


絵文字は装飾だ。程よく使うから表情が出るのであって、飾りは多くすればいいわけでもないのだ。せっかくおいしい料理が出来たというのに、自分が好きだからといって、マヨネーズも、ケチャップも、塩もこしょうも、チーズも、しつこくなるぐらいあなたはかけるだろうか?

あくまでも私の考え方ではあるけど、こういうのはシンプルなぐらいがちょうどいい。腹六分目~腹八分目ぐらいの程々が一番なのだ。


「くだける」と「馴れ馴れしい」は違う


「くだける」と「馴れ馴れしい」の違い。


それは、相手に対する敬意と配慮があるかどうかだ。

そのふたつがあれば、ある程度くだけた表現を混ぜても嫌味にはならない。


相手に対する敬意と配慮はそのままに、「~ですが」と言っていたところを「~だけど」といった具合に置き換える程度であればさほど気にはならない。(もちろん、相手との親密具合にもよる)


逆に、「~っすよね」とか「~って感じですか!(大笑いの絵文字)」といった文章になるとどうだろうか。「ずいぶん馴れ馴れしいなコイツ」とイラッとするのではないだろうか。

「くだける」を勘違いして急に馴れ馴れしい話し方をしたり、主張の激しい絵文字を多用したりするのは、ただのウザい人間になってしまう。


敬語のままで、かつ絵文字を使わない人であっても親しくなれる人とは親しくなれるし、絵文字を盛り込みすぎた結果、馴れ馴れしい人という印象で終わってしまう人もいる。


大切なのは、相手に対する思いやり。適度な距離感。

基本的なスタイルは句点だけど、少し雰囲気をやわらかくしたいなら、ひとつだけ顔文字を入れてみる。絵文字を使う人が相手なら、その相手に合わせるように、1つ2つ程度を取り入れてみる。 . . . といった具合だ。


このように、程よい距離感を保ちながら、時間をかけて様子を見ていくのが一番間違いがないように思う。急に変えると相手もびっくりするし、変化が大きいものであるほど不快感も増すものだ。


相手にも、相手が心地良いと感じる距離感とパーソナルスペースがある。ずけずけと土足で入り込もうとしないように気を付けたい。

『親しき仲にも礼儀あり』。自戒を込めて。



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