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6、-洗礼ー 島旅日記

〈洗礼〉

 一軒家は、状態がとてもよく、ゲスト用にいろんな心遣いがちりばめられていた。
 越してきて、はじめにやったことは、家中を拭き掃除したことだった。
 綺麗だったのだが、自分の手で掃除したくなったのだ。これからよろしくお願いします、とここに住む神様に挨拶したいという気持ちからだった。
 それから、自分のサンクチュアリを作った。
そして、塩をもり、ここに住まわせていただけることに感謝をのべた。
 ゲストハウスを引き払ったその晩、旦那が高熱を出して寝込んだ。そして、熱は次の晩も続いた。
 しかし、可哀想とは思えず、むしろ病気といえど、荷物の片付け、食事など、何もせずにごろごろする旦那に、三歳児の世話をしながらイライラが募っていった。
 翌朝になっても、熱がひかないので、大家さんにいうと、病院まで車で連れて行ってくれた。
診断は、「インフルエンザ」
そして、5日間の隔離生活だった。
 わたしは、なぜかそのとき、「やられたー」と想った。
 当初旦那は、四日で那覇に戻ると宣言していた。
「外にでちゃいけないんだって。」
と玄関先でぼーっと立っている旦那をみて、イライラとあきれと、おどろきと、パニックがあわさりすぐに何もいえなかった。
しかも、1LDK。
ベッドルームが一つしかないので、そこに旦那を閉じ込めた。わたしと子供はリビングにベッドを作り、そこで寝起きすることになった。
なるべく、子供と接触させないようにと気を配り、自分もうつったら、と考えると、近くに病院も薬局もなく、食料の調達も、子供の世話もなれない土地でどうしようと不安になった。
わたしまで、倒れていられないと想ったが、二日目の晩、熱っぽくなった。
節々が痛く、もっと熱があがりそうな感じだったが、うちには体温計もなく、マスクもない。
コンビ二も、遠いし、スーパーも距離があった。
子供の世話をし、遊ぼう~というせっつきに答えながら、心身ともに、疲労していた。
旅にきて、いきなりこれで、なんなんだ?
熱っぽさで、だるくなってくる身体と相談しながら、たぶん移ってるだろうなと想いつつ、
ふらふらするまま、家事をし、食事をつくり、旦那に食べさせ、退屈してぐずる子供の相手をしながら、自転車で40分かけて食料の買出しにでかけた。
わたしは、インフルエンザの薬を飲みたくなかったので、なんとかハーブなど使って自力で、不調を治した。
 たぶん、あたしがしっかりしなきゃ、という気持ちが一番おおきかったのかもしれない。
家では、持ってきてほしいものがあると、寝室から呼ぶ旦那の声と、ぐずって遊ぼう!と誘ってくる子供に挟まれ数日過ごすうちに、
「庄内にいるときと、変わらないじゃない。あたし沖縄にきて何してんだろう。ぜんぜん楽しくない!」
と想い始めていた。
この「楽しくない」という気持ちは、わたしにとってとてもダメージだった。
 島にいけば、癒される。すべてがうまくいく、楽しいものが待っている、と想って最後の砦のように想っていた。
けれど、最後の砦がなくなってしまったら、人生の逃げ場がない。
 南の島に来たのに、生活に疲れて、現実に疲れた自分を癒せる場所がなくなってしまうなんて、絶望だ!という暗い気持ちになった。
それくらい、わたしは沖縄や、島に対して想うところが大きく、期待していた。
 だから、理想と違うような気持ちになった。
島にいけば違う自分や生活が待っていてなんとかなると思っていたこともそうでなくなり、
どこにいても自分は変わらずに楽しい生活と思えない現実だけがあり、山形に居る頃思い描いていた理想の南の島生活を見出せずに日々が過ぎていった。

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