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5、空港にて -島旅日記ー

 那覇から飛行に乗って、島につくまでの50分。
わたしは、これから行く島のことに意識を集中させていた。

意識の中で見える島は、濃い空気がどっと湧き出しているように、力強く迫ってきた。
鼻腔から入ってきて、肺に広がってゆくような、その濃い島の息吹は、強大な意識のように感じた。

到着して空港から、畑と荒野のような景色を見たとき、そのすべてが懐かしさでいっぱいになってきた。
はじめてやってくる島なのに、どれもこれもすんなり空気が体にしみこんでくる。
改札前に空港内を見渡しても、懐かしいような、身体になじんでいくような感じがした。
沖縄にくると、いつも南国にきた感じ、日常から離れた開放感、旅のリフレッシュ感、いろんなものでテンションがあがるのに、この島は違った。
懐かしさと、身体にすんなりしみこんでくる感覚。

帰ってきた、という感覚にさせられた。
理由は、ない。

空港を出て、外に出た瞬間、赤がわらの屋根や、エントランスなどの、景色を見たとたん、
「わたしの来たかった、沖縄はここだ!」
とわかった。
そして、同時に、
「ここは、住むところだ」
とわかったのだった。直感に近かった。
けれど、それは家族に言わなかった。

三日間の宿は決まっていたので、まずはそこに向かった。
初日は、パイナガマ、二日目からは久松だった。

わたしは、見えないものを信じやすいために、どうして、この島が住む場所なのか、以前前世でも、いたことがあるのなら、どこだったのか?何か、メッセージはありますか?とずっと島に問い続けていた。
けれど、回答は得られなかった。
来て二日目、四日目以降の宿をどうしようかとなった。
ゲストハウスに、子供とずっととまるのは厳しい。
それに、一番はこの島で何をするかということ。
幼児をつれて、ダイビングもできないし、海開き前で、入れない。
子連れで3週間もいて、何をすればいいのかとなると、やっぱりゲストハウスとか半端なところにいたくないと想った。

「一軒家を借りたいな。」
そう考えていた。
 フリーペーパーに、畑つきで、貸してくれる家の情報を見つけ、すぐに電話すると、いいよ、とのこと。
 とりあえず、家を見てから決めようと、翌日レンタカーを借りて行ってみることにした。

 しかし、大家さんが現れるとすぐに、
「運がよかった!自分たちは、一ヶ月アメリカに行くから、その間畑の水やりと犬の世話をしてくれるなら、一日千円で貸すよ」
と言った。唖然としてしまった。
え、ここに住むの?

「そのかわり、俺たちが帰ってくるまで、いてもらわないと行けないけどね。」
「いつ帰ってくるんですか?」
「4月4日くらいかな」
なんとなく、「はい」と受けてしまった。
畑つきの一軒屋。家具も家電もすべてついて、すぐに生活できる場所だった。
なんか、わたしはショックを受けていた。
念願かなって、やっとここに住める!という嬉しさではなく、いきなり後ろからドンと押されたような、なんで、こうなっちゃったの?という気持ちだった。
自力でなんとかしたときの喜びとは、違う。受験してもないのに、第一志望に受かってしまったような、嬉しいけど、なんとなく拍子抜けた感じになってしまっていた。

 一人2500円のゲストハウスは、すぐ引き払い、貸家に移った。
島にきて、三日目。
いきなり後ろから押された力によって、二ヶ月この島にいることが、確定してしまった。

 そのとき、なんでこんなことになったのか、きょとんとしてたわたしは、少し後ろ向きな気持ちになっていて、ここに二ヶ月も居なきゃ行けないのか、と想っていた。


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