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障害者いじめ自慢の小山田氏はともかく、コメディアンの小林氏の20年以上前のコントが今時代にそぐわないとか、演出家の佐々木氏が1年も前に奇抜な演出プランしたのがいけないとかは 表現の自由の束縛だと思う。【引用開始】●ユダヤ人権団体、小林賢太郎さんを非難 五輪開会式のショー担当


米国のユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」が出した非難声明
23日に行われる東京オリンピックの開会式でショーディレクターを務めるコメディアンの小林賢太郎さん(元ラーメンズ)が、ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)をパロディーにしたとみられるコントの動画がインターネット上で拡散している。米国のユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」は21日、「反ユダヤ主義の発言」として非難する声明を発表した。 

動画は1998年に発売されたビデオに収録されたラーメンズのコントとみられる。この中で小林さんは、人の形に切った紙が数多くあることを説明するのに「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」とやゆした。  

同団体のエーブラハム・クーパー氏は声明で「どんなに創造的であっても、ナチスの虐殺の犠牲者をあざける権利は誰にもない」と非難している。

【引用終わり】

確かに、問題の小林氏の1998年の動画は、 (私はみていませんが)聞くところによれば趣味が緩いと、私も思います。

ただ、私はフランスのシャルリーエブドが、あの事件の後もイスラム教をややするのも、趣味が悪いと感じます。

既に自認している五輪の元演出家の佐々木氏が、「ブタ」の演出プランを閃いたのも趣味が悪いと思います。

とはいえ、芸術作品に対して好き嫌いを述べるのは、私の自由でありますが、嫌いだからと言って小林氏や佐々木氏

やシャルリーエブドが自分達の好きなように表現する事を止めようとは思いません。

芸術とは、芸術家の内なる感情・感性の表現なので、善悪正邪の判断をする事は、そもそもナンセンスだからです。芸術作品は、すべからく「好きな人は好き。嫌いな人は嫌い。何とも思わない人は何とも思わない」モノであります。ですから、一人の芸術家の作品を好きな人がお多ければ、その芸術家は名前が売れて成功者となり、好きな人が少なければ芸術では生活できない、ただそれだけなのです。

つまり本来は、政治団体があれこれと口出すべきではないのです。ましてや、政治団体が批判して、それによって芸術家が、その立場を追われる(=芸術表現の機会を奪われる)とするならば、それこそは「表現の自由の侵害」であります。

私は、近頃「政治家やスポーツ選手・マスコミ人といった有名人が、芸術 (=人々の感情) を支配しようとしている」ような気がして不安を覚えます。

元々、芸術(=表現)は、政治の宣伝に利用されてきました。プロパガンダです。芸術が感情を揺り動かすものである為に、政治権力者は「国民が感情で自分(=政治権力者)を讃えるようにする」為に、芸術を利用しました。

ナチスドイツのヒトラーは、民族の祭典等々の映画を作ったりして、ドイツ人を「ドイツ民族(自分達)って、凄い。ナチスを支持すればもっとすごくなれる」と感動させて、ドイツ人がナチスドイツを支持するように誘導しました。

第二次大戦後には、このようなプロパガンダによる国民感情の熱狂が戦争を引き起こすとされたはずでありました。

芸術家の「表現の自由」や、言論人の「言論の自由」か、「社会全体で守るべきもの」と認識されるように、なったはずでした。

けれど、今先祖返りをしています。

政治家や政治団体が「(自分の正義に合わない)芸術を作った人を、悪人だ」と糾弾して、スポーツ選手は「(自分の正義に合わない) 社会は、悪い」と、批判しています。

政治家や政治団体は、政治をする人達です。

スポーツ選手は、スポーツをする人達です。

それなのに、政治が芸術を批判して「芸術が自分の思い通りになるべきだ」と主張し、スポーツが政治・社会を批判して「政治・社会自分の思い通りになるべきだ」と主張するのです。

つまり、自分が信じる正義に反する「悪い表現・悪い発言はするな」と、自分の正邪善悪感情を社会のすべての人間次押し付けて「自分が悪いと感じた人達を、社会から抹殺しようとする」のです。

「表現の自由」も「言論の自由」も、風前の灯火のようにかじられて、とても不安です。

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