見出し画像

小説:『想うもの』‐012

マガジンはこちらから。(音声はちょっと休止)

第1話はこちら
第11話はこちら

お話内容: 小さなフキノトウの想いを綴る物語。
思いを寄せる「想い人」、フキノトウを見守る樫の木の大木の想い…。
恋する者全ての人へ、
『自分の気持ちを大切に育てなさい』とそう伝えたい。
ふきのとうの小さく大きな想いをどうぞ最後まで見届けてあげてください。


その年の おばあちゃんの笑顔は格別だった。
私を見つけた瞬間に溢れんばかりの涙を浮かべながら 「良かった 良かった」と、私を愛おしそうに撫でまわしてくれた。その後ろで広く深く広がる瞳で微笑んでいてくれた大木。その長く太い枝で おばあちゃんと私を雪から守りながら、そっと見守っていてくれた大木。
おばあちゃんの喜びを一番に噛み締めていたのは、私でも他の誰でもない…樫の大木であった。
良かった…大木の声を私は聞き逃さなかった。
おばあちゃんの手提げ袋に入った私は今まで以上に、おばあちゃんに摘まれる幸せを味わっていた。
沢山の愛に守られている…ありがとう ありがとう。


私の想い人は あいも変わらず土手道を二輪車で通っていてくれた。
黒ずめの洋服から、藍色の羽織りものにグレーのズボン。たまにチョコンと曲がって首元に巻かれた朱色のネクタイに変わっていた。二輪車の漕ぎ方は前と変わらず変わらず眠そうなこぎ方だった。髪が少し伸び、風を切って走り去るたびに揺れる。たまに頭をがくりと下げ、うつむき加減になりながらこいでいるかと思うと、”しょうがない”という様なゆっくりとしたタイミングで、また真っすぐと前を向く。数年前の出来事がまだ心に刺さっていても…それでも、彼の姿を見つける度に私の胸が高鳴るのは、私から消し去ろうと思っても出来ない「自分自身の心の反応」だった。それを自分で受け入れることが出来たから、今こうして笑って彼を見つめることが出来る…そのことがとても幸せなことだと感じていた。
たまに髪の長いスラっとした女の子と二輪車を押して歩く姿もあった。楽しそうな笑い声に、二人で足を止めるタイミング…小さな事にさえも心の一部がチクリと痛んだけれど、それでも彼を見つめていたかった。右足に重心をかけて左足を少し大幅にとる歩き方も前とは変わっていない…笑い方も変わっていない…鞄の下げ方も、自転車の押し方も…私は私の”想い人”が愛おしい…それだけの理由でも、自分は彼を見つめていたい。そんな気持ちでいっぱいだった。


しかし その翌年から、はたっと彼の姿が土手道から消えてしまった。
何度顔を出しても出しても彼の姿は何処にもなく、でも何処かで彼が眠そうに朝の道を歩いていると…そう感じていた。
寂しかった…会いたかった…でもいつかまたこの土手道を歩いてくれる日がくれるような気はしていた…そう信じていたかった。だから頑張れた。
姿が見えなくとも私の想いはちゃんとここにあったから…
強がりだったかもしれない。
それでもそう思っていなければ、自分の暖かい心が可愛そうな気がして、私は自分の心を思い切り可愛がってあげようと…そう決めた。
もう信じるのは自分の想いだけでいいんだ。自分の想いは、姿は見えなくとも ”想い人”のもとにある。そこに居たい…誰よりも彼の近くに心を置いておきたかった…その気持ちは ずっとずっと、今も変わらない。



この年辺りからだった…おばあちゃんの足取りが、よりゆっくりとなっていったのは…。

長い時間をかけてもなお、おばあちゃんは必ず私の場所までたどり着いて来てくれた。年を重ねるごとに、大木とおばあちゃんの時間が長くなっていったのも。おばあちゃんの手がずっと大木に触れながら、彼女は大木に語りかける時間を多く作っていた。


例年通りの寒い春の日…その日、彼女がここまでたどり着くまでに雪につけた数々の足跡は、数分で消えてしまう程の軽く 浅い押し印だった。小刻みにつけられたそれは、ありとあらゆる所で重なって、引きずられ、真っすぐに線を引かれては消えて行く … まるで空高くに描かれる飛行機雲のようだった。真っ青に染まった空を一つの光を頼りに飛ぶ飛行機のように…おばあちゃんもまた、この真っ白な雪世界の中を大木だけを頼りに真っすぐと進む。


この年…おばあちゃんは少し溶け出した雪から姿を見せた大木の根っこに、ゆっくりと腰を下ろし 大木に寄りかかりながら大木の遥か上の方を見上げ笑っていた。

しばらく大木に身を任せ、その場で優しく赤い頬を持ち上げながら柔らかく笑っていた。
寒い、透き通った空気を舞台に雪が踊る如月の春。おばあちゃんの瞳に写っていたのは、大木の姿だったのか…その先に広がる雪空だったのか…今となっては知るすべもないけれど、あの時のおばあちゃんの横顔は とてつもなく幸せそうだった。

カシノさんと大木は言葉を交わしていた。何故かその時はそっと耳を地中に埋めて、ただそっと…何も聞かずに、ただ地中に伝わる二人の暖かさを感じ取りながら二人の笑顔を眺めていようと…そうしなければいけないと、そう思った。
自分が入ってもいけない、入ることも出来ない、そんなひと時だった。
見ているだけで伝わってくるもの…愛おしさが溢れ、幸せでいっぱいなはずなのに…なぜか私は泣いていた。
目の前に映る二人の姿が暖かすぎて、、、でも、なぜか切なくて。
涙で曇る光景を、瞬き一つせずにこの目に焼き付けた…。


この優しく幸せそうに微笑むおばあちゃんが

私が最後に目にした カシノさんの姿だった。


 
そして、その翌年…私は生まれて初めて花を咲かせた…。



-013に続く。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?