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身体の声をどこまで聴けているか?

心と身体がつながっている。ということはある側面本当で、そして意識的に「同期させる」こともとても大事。

昨年心身ともに弱りまくって、回復のプロセスをたどる中で体感しました。

頑張ることがデフォルトになっていたり。
または成し遂げたいことがあったり。
好奇心旺盛であったり。
特に強いられているわけではなくても、精力的に活動したりしている人もとても多いと思います。

かくいう私もそういう傾向はあって、そこへある時期公私で思いがけず負荷が一気にかかって、気づけば神経系が疲労困憊状態になってしまったのでした。

身体知は大事だということはわかっていつつも、マインドのほうが暴走気味になっていたんですね。

私たち現代人は、
仕事などやるべきことに加え、
「これを学ぶと良さそう」
「これをやると良さそう」
さらには
「これ、面白そう」
「ここに行ってみたい」
「この人に会ってみたい」
まで、"DO" の世界に引っ張られがちです。(note書くことも 笑)

心の赴くままにといえば聞こえはいいけれど、身体は「しょうがねえな」と付き合ってくれている部分が多分にあるんではないでしょうか。

映画だろうが友達とのランチだろうが、それは"刺激"でありエネルギーを消費しています。ランニングとかヨガみたいな「これは"身体に良いことだから"」ということでさえ、いくらマインドがそう主張しようとも、身体の声は時に「いや、NO thank youですけど」ということがあるのです。

DO、DO、そしてDOの毎日に浸かっていると、その声を拾いにくくなる。
そうして、身体は欲していないものを飲み食いすることや、身体は休みたいのにルーティンに沿って何かをすることになってしまいます。

痛みやつらさを感じていればストップはかけられる。
でも、できたらその段階の前にチューニングしたいものです。

動くことに慣れきってしまっていた私は、このパターンを崩すことは想像を超えて困難なプロセスでした。

でも、丁寧に丁寧に身体の声に意識を向け続けていたら。
微細なところまで聞き取れるようになってきました。

身体がカンマ1秒遅れてついてくる感じをキャッチできるようになった。
「あ、身体は乗り気ではないな」ということがわかる。
その声を尊重できる。

慣れないうちは、自分が「ナマケモノ」になってしまったような感覚がぬぐえませんでした。今も残っているかもしれません。

心は「やりたい」と言っている”気がしている”のにと、もどかしく。
「なんか、生産性どうなの」というモヤモヤがつきまとい。家事でもなんでも、身体の声を押し切って「何かしようとする」癖が抜けませんでした。

先日ふと、
「あ」
という感じで心と身体を微細なレベルで同期させることができたとき、静かな感動と安らぎが訪れました

心を身体のために抑えつけるのではなくて、身体の声に心も納得できていて、心も身体がちゃんとシンクロしている感覚。

勿論やるべきことはあるし、仕事が盛り上がってきたり、予期せぬTODOが重なったときに、自分の感覚に鋭敏に居続けることには、少なからず努力がいるのですが。

それでも、そして、自分をこの3次元の世界に存在させてくれている身体を大事にしたいと思います。

2022は、心と身体を同期させることに意識を向けていきます。


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