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会えなくても乾杯するよ

10年前のあの日、彼女と初めて言葉を交わした瞬間、私の全細胞が喜びのあまりピチピチと跳ねて踊った。今思えば、あれは間違いなく一目惚れだった。出会ってすぐに「運命の人だ!」と確信した相手は、36年間生きてきて「春ちゃん」だけだ。

美術館の一軒家での出会い

春ちゃんと出会ったのは森だった。
正確に言うと、美術館の森にある一軒家。

私は2010年の夏、那須にある美術館で住み込みの短期バイトをすることになった。

当時は東京の花屋で働いていたけれど、「本当にやりたいのは花の仕事じゃない気がする」と毎日モヤモヤしていた。自分に迷いがあるから、花の手入れも花束を作るのも全く上達せず、店主には「ほんっとにダメな奴だな」と怒鳴られてばかり。苦しくて、しんどくて、すぐにでも逃げ出したかった。

そんなときにネットで偶然見つけたのが、美術館の短期バイトの求人だった。ニキ・ド・サンファルという、名前だけは知っていた女性アーティストの美術館。遠方で通勤できなければ、敷地内にあるスタッフ用の一軒家で暮らせるらしい。

私はほとんど勢いで応募メールを送り、すんなりと採用が決まった。そして、あっけなく花屋を辞めた。

いよいよバイトが始まる一週間前だったか、一軒家の鍵の受け渡しのために、神奈川の自宅から那須に一度行く必要があった。美術館が所有する一軒家だからオシャレかなと勝手に期待していたけれど、木々が生い茂る敷地にあるその家は、遠目に見ても安普請だった。

内心ガッカリしながら家に向かって歩いていくと、頭のてっぺんに大きなお団子を結った女性が、ニコニコしながら玄関に立っているのが見えた。それが春ちゃんだった。

春ちゃんは私に気づくと、ぽってりとした唇をきゅっと引き上げて(おでんくんに似ていてかわいい)、「はじめまして!」と音符が跳ねるように明るく話しかけてくれた。もともと微笑んでいたのに、さらに笑ってくれたから、辺り一面の草や葉までもキラキラと光る。「絶対に絶対に仲良くなりたい」と秒速で思った。

私と同じように、春ちゃんも短期バイトのスタッフとして、この一軒家で暮らすらしい。埼玉でフリーの写真家として独立したばかりで、カメラの機材を買うお金を貯めたいそうだ。

年齢は私と同じで、好きな作家が吉本ばななだとか、くるりをよく聴くだとか、びっくりするほどたくさんの共通点が見つかった。

私たちはすぐさま意気投合して、その数時間後には那須の日帰り温泉に一緒に浸かっていた。いきなり裸の付き合いだ。それから、お蕎麦屋さんの大きな窓から通り雨を眺めて、ぴったり同じタイミングで「美しい雨だね」と口に出した。この日何度目かのびっくりに、私たちは「こんなことってあるんだね」と笑い合った。

火曜日の夜は乾杯

いざ仕事が始まると、私と春ちゃんは朝から晩まで一緒に働き、美術館から徒歩20秒の一軒家に帰ってからも本当にたくさんの時間を過ごした。

食事は各自で用意するから、狭い台所を交代で使う。どちらかが料理する姿を、もう片方はダイニングテーブルから眺めながら、仕事や将来の夢、恋愛、好きな作品などについておしゃべりする。そうして、お互いの大切なものを分かち合う。

春ちゃんと初めて乾杯したのも、もちろんこの一軒家で。
幸せなことに、私たちは夏のあいだじゅう、何度でも乾杯できた。

美術館の定休日の前日、つまり火曜日の夜がくると、私たちは解放感や達成感に満たされながら、ささやかな宴をすることが多かった。一緒に台所に立ち、餃子や天ぷらなど、週に一度のご褒美にふさわしい料理を作る。

春ちゃんは火曜日まで楽しみに取っておいた缶ビール、下戸の私は冷たい麦茶で「お疲れー!」と乾杯し、二人で用意したご馳走を「美味しいねぇ」と食べる。一週間待ち望んでいた、最高の瞬間。

いつもより夜更かしして、ずっとおしゃべりしていても、話したいことが尽きなかったから不思議だ。くだらない話も真面目な話も、しんと静かな美術館の森が受け入れてくれるような気がした。

どちらかが眠くなったら話を切り上げて、「おやすみ」と各々の部屋に戻っていく。そして、次の日にはまた「おはよう」と顔を合わせる。家族以外の人とこんなにも濃密な時間を過ごしたのは、後にも先にもこのときだけだ。

春ちゃんは理不尽なことがあればきっちり怒り、困っている人にはごく自然に手を差し伸べ、素晴らしいことが起これば全身で喜びを表現する。感情豊かに、まっすぐに生きる春ちゃんのそばにいるだけで、私の世界は色鮮やかになり、奥行きもぐんと広くなった。

正直に言えば、美術館のお客さんやカフェの店員さんなど、初対面のどんな人も一瞬で惹きつける春ちゃんと、春ちゃんの陰に隠れてしまう自分を比べて落ち込むこともあった。でも、そんな劣等感も春ちゃんが太陽みたいに笑いかけてくれれば、結局は吹き飛んでしまう。

2ヶ月間のバイトを無事に終え、それぞれ神奈川と埼玉での暮らしに戻ってからも、私たちはしょっちゅう遊び、旅にも出た。
埼玉で二人暮らしをしようかと本気で相談し合ったりもした。次の仕事を探さなければいけない私の事情で、実現できなかったけれど。

一度きりの仲違い

このままずっと春ちゃんと仲良しでいたいし、いられるはず。そう信じて疑わなかったけれど、一度だけ仲違いをしたことがある。2010年の冬だ。

原因は、私が自分の夢から逃げようとしたことだった。あの森の一軒家で、私は「文章を書く仕事がしたい」と春ちゃんに語り、「那須から帰ったら、月に1回ZINEを出す」と宣言した。春ちゃんは心から応援してくれて、協力するとも言ってくれた。

ところが、私はああだこうだと言い訳をして、自分で決めた約束を自分で破ってしまった。しかも、見るに見かねて春ちゃんが苦言を呈してくれたのに、拒絶してしまったのだ。

春ちゃんはフリーランスで仕事をしているから、人と信頼関係を築く大変さ、その信頼を失う怖さを知っていて、それを私に伝えたかったんだと今なら分かる。でも、当時の私はどうしても素直に受け入れられなかった。嘘つきで情けない自分の姿を、春ちゃんへの怒りで隠そうとしたんだと思う。

仲違いをしてから一度、春ちゃんが「また会えますように」と書いた手紙を送ってくれたことがあったけれど、泣きながら破り捨ててしまった。涙でぐしょぐしょの顔で、「これでもう本当に会えなくなるんだ」と思ったのを覚えている。

でも、仲違いから半年後。
私はまた春ちゃんと乾杯できるようになった。今でもあのときの自分を抱きしめて、「よく勇気を出したね」と言ってやりたい気持ちになる。

再会の乾杯

春ちゃんと再会したきっかけは、東日本大震災だった。

あの地震で、多くの人が「当たり前にあると思っていたものは、実は全く当たり前なんかじゃない。そして、突如として失われることがある」ということを突きつけられたと思う。私自身もそうだった。

どんなに誰かに会いたいと願っても、自分の意志とは無関係に一生会えなくなるかもしれない。そう思い知ったときに、「つまらない意地を張り続けたままでいいんだろうか」とハッとした。

自分自身の意志で選び取れることなんて、本当はごくわずか。現実はとても残酷で、なすすべもなくどんどん変化していってしまう。
それならせめて、自分の意志が届く範囲のことは、心の声にちゃんと耳を傾けて決めたい。ざわざわと波立つ感情ではなく、もっと深くに潜ったところで発せられる声に誠実でありたい。

あのとき仲違いしてしまったのは、100%未熟な自分のせいだ。春ちゃんに謝りたい。そして、また会いたいと伝えよう。もうとっくに手遅れで断られてしまうかもしれないけれど、今素直にならなければ、一生後悔すると思ったのだ。

結局ZINEづくりは挫折してしまったけれど、仲違い後に私はなんとか文章を書く仕事を見つけられた。これでようやく自信を持って春ちゃんに会える、そう思えたのも勇気を出せた理由かもしれない。

本当にありがたいことに、春ちゃんは私のメールに温かい返事をくれて、私たちは再会の約束をした。

2011年の初夏、美味しいと噂の中目黒の焼鳥屋。いつか春ちゃんと行きたいと思っていたお店のカウンター席に、二人でぎゅうぎゅうに並んで座る。

春ちゃんはキンキンに冷えた生ビール、相変わらず下戸の私はウーロン茶で、私たちは再会の乾杯をした。「連絡をくれて本当にありがとうね」と春ちゃんがやさしく言ってくれて、「ありがとうは私のセリフだよ」と首を横にぶんぶん振る。そして、空白の半年間を埋めるように、またたくさんの話をした。

森の一軒家とは真逆の賑やかな店内。
それぞれ逆方向の電車に乗るまでのタイムリミット。

私と春ちゃんの関係も世の中も驚くくらい変わってしまったけれど、お互いを大切に想う根っこだけは変わらないとその夜に思えた。

会えなくても乾杯するよ

春ちゃんと出会って、ちょうど10年。

この10年で、二人の人生には色々なことが起こった。
私は結婚して、春ちゃんも結婚した。
春ちゃんはかわいい女の子を出産して、子育てをしながら写真家として頑張っている。
私はというと、子どもはいないけれど、夫婦でそれなりに幸せに暮らしている。文章を書く仕事もなんとか続けている。

春ちゃんの家族、私の夫、私が紹介した友だち……最初は二人きりで乾杯していたのに、一人、また一人と乾杯に加わってくれる人が増えていき、いつの間にか大きな円になったんだなぁと感慨深くなる。

春ちゃんに最後に会ったのはいつだろう……2018年の秋だろうか。
それぞれに大切な人やものが増えていけば、会える頻度も自然と少なくなる。
でも、私たちがお互いに誠実でいる限り、会えないこと自体はまったくネガティブなことではないんだなと思う。会う回数と相手への想いの強さは比例しない。

二人がそれぞれの場所でそれぞれの世界を広げていってるだなんて、素晴らしいことだ。
春ちゃんの世界の片隅かもしれないけれど、私の居場所はきっと残してくれているだろうから。そして、それは私もまったく同じだから、もしもこの先ずっと会えなくなっても大丈夫とすら思う。
最後に会ったとき、お互いに笑顔でバイバイできたしね。

昨年、夫婦で神奈川から兵庫に移住してからというもの、私と夫は遠くの春ちゃんや他の友だちのことを語りながらビールやウーロン茶を飲むのが幸せなんだ。
すぐに会えなくても、相手を想いながらこっそり乾杯する。次に会える日を楽しみに、そんな時を過ごすのも素敵だと思っている。



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Webメディア編集・ライター|とにかく美味しいものが大好きな食いしん坊。関西のカフェ巡りが趣味です。スパイシーだけどホッと落ち着く、チャイのような文章を書きたいです|入谷さん主催 #磨け感情解像度コンテスト 最優秀賞|#給付金をきっかけに PowerToスモールビジネス賞

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コメント (4)
註)おでんくん(CV:本上まなみ)とは🍢
https://www.asahi.co.jp/odenkun/

※"おでんくんに似ていてかわいい"だけでイメージが格段に具体的になるw
女性なのにw
いりさん、アシストしてくださりありがとうございます😭🍢
本当は写真を載せたいくらい…!!
素敵な思い出ですね🥰
夫婦で遠くの友達を思い出しながら語る...☺️
想像しだだけで幸せな姿が伺えます🥰
おでんくんなのですが私の友達もおでんくんに似てるって言われると喜んでる友達が居てめちゃ美人です😂💓
さしみさん、こんばんは☺️☺️コメント嬉しいです、ありがとうございます!!
いやぁ、本当に日々ささやかな幸せを噛みしめています😢✨

おでんくんに似てるお友達がいらっしゃるんですか!!春ちゃんもめっちゃ美人なんです!つまり、おでんくんもめっちゃ美人ということ…笑
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