自由な「性」の在り方〜LGBT+🏳️🌈〜
「心の性」「身体の性」「誰を愛するか・愛さないか」は、その人のアイデンティティでもあるし、自由で多様な性の在り方があっていいはず。
ごく当たり前のこと。何もおかしいことはない。
でも、社会の固定概念は存在する。
自分は自分。他人は他人。「ありのままの自分」「自分らしさ」を持っていてとってもステキなことなのに、なぜそれに対して偏見があるんだろう。偏見が生まれたのだろう。
私は、誰もが「志」をカタチにできる社会をつくりたい。「自分らしく」生きるきっかけ作りがしたい。
もし、「性」の問題で悩んでいる人がいるなら力になりたいし、ありのままの自分でいられる環境をつくりたい。そして、「性」とか関係なしに、生き生きとした笑顔が溢れる環境にしたい。
ただ、そんな私もついこの間までLGBT+に無関心だった。知識はある。名前は知っている、それだけ。
日本にはそういう人も多いんじゃないかなって思う。
だからこそ今の自分に何ができるかなって考えてみた↓
多様な性に触れる
私自身、今までLGBT+の方との交流が全くと言っていいほどなかった。
いや、13人に1人がセクシュアルマイノリティだと言われる中、出会いがゼロなはずはない。
気付かなかった。気付けなかった。
日本では、自分のセクシュアリティをカミングアウトできないLGBT+当事者が多い。
そして、オープンにしている人が少ないので「自分の周りにはLGBT+の人はいない」と思っている人が多いのが現状。そう、私みたいに。
「LGBT」という名前を知っていても、日常的に当事者との関わりがない。関心を持つきっかけを得ることが少ない。だからこそ、たまにLGBT+の方を見かけると物珍しそうな反応をするし、自然と距離を置く。そういった周りの反応が怖くて、当事者も公言できない。
負のループな気がする...
LGBT+当事者でない私にとって、当事者がどの様な課題を感じ、どんな思いをしているのか。
社会の固定概念・偏見・周りからの視線によって、自分らしい生き方ができていないのか。それとも、自分らしく生きているのか。
それすらも分かっていない。
知識とか情報とか形あるものを理解することはできても、当事者の「気持ち」は生の声を聞かなきゃ分からないなって思う。
寄り添おうとすることはできても、本当に寄り添うことはできない。
対話なしには始まらない。
日常生活を振り返る
そもそも私がなぜ、LGBT+に関心を持ち始めたか?
それは、スウェーデンのマルモにあるRFSLという施設を訪問し、実際にLGBT+当事者とお話をしたから。
北欧のそれぞれの生き方を尊重し合う価値観にはとても心を動かされた。LGBT+のみならず、難民やハンデキャップをもった方へも寛容。
至る所にレインボーフラッグが掲げられているし、当事者自らLGBT+であることを公言できる環境。
とても刺激を受けて日本に帰ってきて、まず目についたのがトイレ。
北欧では、トイレが男女で分かれていない。
でも日本では、トイレは丁寧に色分けまでされているし、ベビールームは女性トイレにあるのが基本。
北欧では、「性」の話はオープンだし、タブーな内容は全然ない。でも日本は「性」の話は恥ずかしい。
今まで当たり前だと思ってきた常識や身の回りの習慣。見直してみると、細かな一つひとつに「あれ?」という発見がある。
常識に疑問を持つ。
それってかなり大事なことだと思う。
日々の会話。日々の行動。自分の無意識な発言にも、きっと差別的発言が含まれている。
日常生活を振り返って、ちょっと意識してみる。
もし自分の周りにLGBT+の人がいて、私の日々の言動から、「相談してみようかな」とか「カミングアウトしてみようかな」と思ってくれたら嬉しいし、そういう人になりたい。
仲間を集める
スウェーデンでは、LGBT+の方に対する偏見がほぼない。
政府が動いて教育を変えた。小さい頃から「多様性」が当たり前という価値観を教えている。
けど、スウェーデンでも急に政府が動き出したわけではない。教会を拠点に団結して、意思表明をしたから。
1人でアクションしても、影響力は微小。仲間を集めて、団結してアクションを起こせ!
大きなムーブメントを起こさなくたっていい。
LGBT+当事者やアライ(Ally)が、繋がって仲間になって、世間話をしたり悩み相談をしたり。
自分の居場所があるだけで安心するし、「自分らしく生きる」勇気がもらえる。
そんな環境作りをしていきたい。
私自身まだまだ無知なことが多い。
LGBT+の方とたくさんお話がしたい。友達になりたい。
「自分らしくいられる環境をつくりたい」「そういう環境を見つけたい」という人とも出会いたい。
このnoteを読んで興味を持って下さった方、ぜひご連絡頂けると嬉しいです!
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