船に乗ったら世界が変わった話【4】

さて、非常に強い揺れから生還し、小笠原に着いた。

ところで、出港や入港時には「登舷礼」というものをするのだけれど、まだ最初の出港式で登舷礼をしたばかりの私たちの顔は少し緊張していて、立ち姿も初々しかった。後、航海が進んで終盤になったころにその写真を見た時は、「こんな時代もあったねと〜」と往年のヒットソングが頭をよぎった。
昔、海賊船などが横行していて、航海が今よりも危険だった頃、敵でないことを示しながら寄港地に入っていた時からの儀式である。そう思うと、自然と背筋が伸びる。

小笠原に入港した初日の夜は一応自由行動ができた。ただ、この島、東京からの定期連絡船である「おがさわら丸(通称おが丸)」がいない時は休日扱いという、首都東京に属していながら何とも自由度の高い仕様となっていた。そして、我々のような大型〜中型の船が停泊できる港は、普段おがさわら丸が入る二見港である。そして二見港には1隻しか船は入れない。

単刀直入に言おう。
我々がいる限り、おが丸は来ないのだ。

で、おが丸がいないので店はどこも休みだし、まあそもそも島なので店がこちらみたいに遅くまでやっているわけではない。
物資を運ぶのもおが丸頼みなので、迂闊に買いだめもできない。これは船酔いのせいで思わぬところでゼリーなどを消費し、この次が七日間船内という我々には思わぬ痛手であった。
我々は、いきなりロコ流の楽しみ方を要求されることとなった。というか小笠原に来るなら、これくらいは想定しておかなければならなかった。
少し見積もりが甘かった我が身を恥じる。

というわけで初日は小笠原の夜道をみんなでスマホのライトやら、実習用のペンライトやら使って照らしながら歩いた。目指すはウェザーステーションである。2月の夜であるが薄手の上着があれば結構の、春先の気候である。
街灯があまりないのでところどころ本気で暗いところがある。自然に詳しい人がネイチャーガイドの如く「これは何の鳥のフンだ」とかなんとか解説してくれる。おかげで結構楽しめた。

2日目は戦跡ツアーと夜の自由行動であった。小笠原は第二次世界大戦の末期には硫黄島への物資補給拠点として使われていた。そのこともあって島中至る所に砲台やらガマやらなんやらが残っているのである。結構すごい眺めである。これを見に行くためにはもちろん山道をそれなりに歩かなければならないが、そんなことは関係ない。アカガシラカラスバトという、小笠原固有の鳥の頭が名前通り赤いことや、生えている草、ガマの外から見る海の色にいちいち感嘆の声をあげた。
夜の自由行動はみんなで小笠原の魚を食べに、唯一やっていたまんたという居酒屋に入った。美味しいのでおすすめしておく。
この時にはおが丸が来ないので物資が足りないことや、店が閉まってることはどうでもよくなっていた。
地上での飲酒は帰りのタラップを踏み外すといけないからか禁止だったことだけが悔やまれる。あの美味い魚をアテにあの仲間と酒が飲みたかった。

最終日は午前中が自由行動になっていた。そこで我々は「やはり2月の小笠原といえば鯨」と言って、ホエールウォッチングを予約していた。ちなみにこの予約電話は、事前研修期間のわずかな時間にしたものである。なんとか少ない枠を勝ち抜き、現地に行けば島のどこかで海を見ると1時間に一回以上は鯨のブロウ(潮吹き)が見える事態。否が応でも期待は高まった。
まずは湾内にいるハシナガイルカたちが大歓迎をしてくれる。

きりもみジャンプを見せてくれるハシナガイルカ
かなり近い。息継ぎの音も聞こえ、確かに哺乳類である。
親子の群れである。
日本どころか世界を探したってこんなに近くで鯨が見られるところは、そうない。
噴気口。オキアミ臭いブロウを運が良ければ浴びられる。
顔も見せてくれた。

ホエールウォッチングでこれだけのものが見られ、運を使い果たしたと思った。もう旅にはこの段階で十分満足し、ホエールウォッチングの船から降りた頃には「次は七日間だぜ……」と誰ともなく暗い気持ちになった。一生分の運を使ったと確信していた。
ちなみにホエールウォッチングの小型舟の揺れにやられた2人のメンバーも、私の気を重くさせる原因であった。小型でこれなら大型はどうなるというのだ。でも班長なのだ。これを引っ張っていかねばなるまい。船が出るまで叱咤激励を繰り返した。

そして、1500。忘れもしない。出港時刻すら、きっちり覚えている。出港のための「登舷礼」が始まった。係留ロープは解かれ、7日間の孤独な航路が始まるという事実に誰の顔も緊張が入り乱れて暗かったし、口数も少なかった。その緊張した我々を、島民たちはたぶんほとんど総出で送り出してくれた。まるで、一人暮らしをする子どもを送る時のように。
「楽しかった、かー⁈」
ボートで追従してきた叔父さん、学園歌を歌って送り出してくれた島民の方。
みんな泣いた。たぶんみんな同じ気持ちだったと思う。「絶対、また帰ってくる」と思った。

あとで聞けば、小笠原では一度島に来た人は上陸時に「ただいま」と言うんだそうだ。まるで我が家のような、すべての命のふるさとのような島。そう言うのも頷ける。

ねぇ、1年経っちゃいそうだけどさ、今年の終わりに、帰ろうと思うよ。
そしたらまた「おかえり」って言ってくれるかなぁ。

私は、この島が、好きだ。

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