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1881 『令和を生きる』

◇1881 『令和を生きる-平成の失敗を超えて』 >半藤一利・池上彰/幻冬舎新書

ビッグネームお二人の対談とあれば、買わずにいられない。書店で見かけて即購入。対談形式なので、さらりと読めてしまうが、なかなか示唆に富む本であった。

しかしながら、最近、集中力が持続せず、引用をするのが億劫に感じるようになってしまった。自分でも、何となく理由は分かっている。新聞をしっかり読もうと思いすぎて、多くの記事を飛ばし読みしているせいだ。しかも、スマホで新聞を読むようになり、ウェブサイトをザッピングするような読み方になってしまっている。ちょっと長い記事だと、画面をスクロールして、情報だけをとりあえず目で追う感じ。これでは、熟読したと言えず、読む力が衰えてきているように感じる。読む力とともに、集中力まで落ちてきてしまっている。

先日読了した『独学の技法』の印象が強く、新聞記事はあえて読まない(筆者の山口さんは、そこまでは言い切っていないが)という主張に感化されている。これからは新聞を読む時間を1日30分程度に絞り、世の中の大きな流れを把握するだけに留めようと考えるに至った。それで、潮流に乗り遅れるようであれば、新聞の読み方を元に戻せばよいだけである。

さて、引用は面倒なのに、こんな前置きをダラダラ書くのは苦にならないというのも不思議なもの。まぁせっかく読んだ本なので、特に気になったところを絞り込んで、要約して引用しておきたい。

・国民投票では、間違いが起きることがある。民主主義は取り扱いに注意を要するものである。

・知りたい情報しか知らない人たちが増えると、デマを本当だと思う人たちが増える。これは戦争中の大本営の発表を国民が信じ続けた戦時中の状況と同じ。

・全体主義というのは国力が弱くなっている時や、社会が混沌としているときに生まれやすい。しばしば英雄視されるものが現れて、カオスか自分かどちらかを選べと人々に迫る。あるいは人々の中に眠っていた怒りを呼び覚まして操作しようとする。

・太平洋戦争開戦の前年(1940年)、当時ヒトラー率いるドイツの快進撃を見た陸軍が、イギリスが白旗を上げる前にドイツ・イタリアと三国同盟を結ぶべきだと主張した。「バスに乗り遅れるな」という号令のもと参戦してしまった。国民はほとんど思考停止の状態で、軍部や政府の言うがままに闇雲に走り出してしまった。この日本が経験した歴史の事実は覚えておくべき。

・日本の国土はアメリカの4%しかないが、海岸線はアメリカの2万kmに対して日本は3.5万kmもある。しかも列島の真ん中に急峻な山脈があるため奥には逃げられない。つまり、日本というのは地政学的に守るには非常に難しい国土である。しかも今はその海岸線に原発がずらりと並んでいる。

・安倍政権は、移民→外国人材、空母→多用途運用護衛艦、カジノ(博打)→統合型リゾート、戦闘→武力衝突、武器輸出→防衛装備移転、などなど、都合の良い言い換えを行っている。これは戦時中の日本が、撤退→転進、全滅→玉砕、などと言い換えたのと同じ事象。意味を誤魔化す言い換えに国民がいいように騙されている。


なんだかんだと書いてきたが、いざ重要箇所を引用しようとすると、ついつい欲張ってしまう。

いろいろ書いてしまったが、本書で一貫して主張されているのが、「戦争への危機感」であろうか。さまざまな情勢が、今にも爆発しそうだと半藤・池上両氏がおっしゃっているのは、何とも薄気味悪い。杞憂で終わればよいのだが。。。



【目次】

第1章 劣化した政治、最初の岐路
第2章 災害で失われたもの、もたらされたもの
第3章 原子力政策の大いなる失敗
第4章 ネット社会に兆す全体主義
第5章 誰がカルトを暴発させたのか
第6章 「戦争がない時代」ではなかった
第7章 日本経済、失われつづけた三〇年
第8章 平成から令和へ―日本人に天皇制は必要か


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