6月4日の日記のようなもの

6月に入ってから、曇りの日が続いている。

友人が「曇りの日は天気痛がひどくて嫌だ」と話していた。僕はそれを聞くまで、天気痛というものをおよそ全く知らなかった。天気痛とは、気圧の変化によって頭痛が引き起こされる症状らしい。

天気痛という概念を得てからは、曇りや雨の日は「今日は天気痛というものが起きやすい日なのかもしれない。」と思うようになった。そしてそう思うと、頭に疼痛を感じるような気がした。天気痛など知らなければこの先の人生で天気痛を感じることもなかっただろうが、これからは天気痛というものが心のどこかに住み着いて、僕に「今日は頭が痛いような気がする」という感覚を与え続けるのだろう。

つくづく、自分というものは信用ならないなと思う。

そういえば、ここ3週間くらいヒゲを剃っていない。ヒゲを剃っていないが、ヒゲを剃っていないことに特に理由はない。周囲の人から「ヒゲを伸ばしているの?」と聞かれるが、そうだとも言えるし、そうでないとも言える。なぜなら特段の目的があってそうしているわけではないからだ。たまたま剃らない日が積み重なっただけのようにも思えたし、何か気づいていない動機があったのかもしれない。どちらにしても、今時点の僕にとって、ヒゲがあるかどうかはほとんどどうでも良いことだった。それは、アスファルトで舗装された道の脇に咲くたんぽぽのように、僕にとっては大きな意味を持つものではないように思えた。

そうとはいえ、せっかくヒゲが伸びて容姿が変化したので、周囲の反応を楽しんだ。

僕のヒゲを見た人の中には、ワイルドだという人もいれば、似合わないという人もいた。俳優のようだという人もいたし、お笑い芸人のようだという人もいた。あるいは一瞥して、「黒カビみたい。」という人もいた。面白い表現だと思った。

関西出身の母に育てられた影響なのか、僕は笑いを取るチャンスがあれば、他にどんなにまともな考えがあったとしても、笑いを優先してしまう節がある。

黒カビというのはなかなか秀逸なブラックユーモアのように思えたので、僕はそれを自称することにした。外出する際はマスクをすることが当たり前になったので、友人とカフェに出向く際には、運び込まれたコーヒーカップに口をつける寸前までマスクをつけてヒゲを隠した。そしてタイミングを見計い、劇場のこけら落としの如く唐突に自由に成長したヒゲを晒して見せた。皆一様に目を丸くし、その後少し困ったように笑っていた。そのヒゲをどうしたのかと聞かれれば、「最近は暑くなってマスクの中が蒸れてカビが生えてしまったのだ。」とごく深刻な表情で伝えた。最初はどう反応すれば良いか困ったように見えた人も、今度は安心して笑っているように見えた。幸いなことに、僕の周りにはこうしたギャグを笑ってくれる人が多い。

いくつかの反応を見るに、どうやら人はヒゲというものに特別な興味を示すらしい。それでも僕にとっては、ヒゲはあってもなくてもどちらでもよいものだった。僕のヒゲの行く末は、たんぽぽの綿毛が風に任せてゆらりゆらりと浮かんでいるかのごとく、今にもどこかに着地しそうにも思えたし、そのままゆらりと浮かび続けているようにも思えた。

子供の頃、たんぽぽの綿毛を口で吹いて遠くまで飛ばすのが好きだった。少しでも高く遠くに飛ばせば、この綺麗な黄色い花がたくさん咲くのだと思うと、養われるだけの自分も何かの役に立っている気分になれた。

自分が飛ばした一つ一つの綿毛を目で追っていると、ときたまどこかに導かれるように飛んでいく綿毛がいた。自分が花を咲かせる場所が決まっているかのごとく、意志を持って自分が根を張るべき肥沃な土へと向かっているように思える綿毛を見つめながら、人間が意思を持って生きているのと同じように、たんぽぽの綿毛だって、自分がよりよく生きるための意思を持っていてもおかしくないはずだと考えていた。

僕のヒゲにはしかるべき意思はあるのだろうか。僕は僕のヒゲについて少し思いを馳せてみた。僕のヒゲに唯一意思があるとすれば、それは、僕が好きな人が僕のヒゲを好むかどうかということであった。好きな人がヒゲが好きだというのならば、それを無くしてしまうのは惜しいように思えた。そして僕の好きな人は、僕のヒゲを好きだと言った。ちょうど綿毛が意思を持って肥沃な土へと着地するのと同じように、僕のヒゲも、時間をかけて、しかるべきところに着地していくのだった。


なんてことは、まるでない。

僕は小栗旬になりたかった。小栗旬のヒゲは、ぼうぼうではないが、スタイリッシュに綺麗に生えそろっていて、ワイルドさを際立たせていた。小栗旬と比べて身長も骨格もほとんど劣っていない僕は、ヒゲさえ生やせばなんとかなるかもしれないはずだった。

しかし僕のヒゲは、小栗旬のヒゲにはなれなかった。太さ、密度、面積、どれも足りていなかった。サッカースタジアムに例えれば、オールドトラフォードの天然芝と、古びた屋内施設の人工芝くらいの差があるように思えた。僕のヒゲは、太くて硬く、好き好きの方角に伸び、そして緩やかに弧を描いていた。下に静かに真っ直ぐ伸びてくれるだけでよいのに、僕の性格が反映されているのか、周りと同じことだけはすまいと意地を張っているかのごとく、ほうぼうに伸び散らかっていた。

そしてこの静かなる絶望は、僕にとって初めてのことではなかった。

楽しい夢が覚めてしまった朝のように、生まれたての新鮮な虚しさが積乱雲のように僕の心を埋めようとしていた。そうなる前に、僕はスプレーから泡を放射しヒゲに纏わせ、一思いにその全てを剃り落としてしまった。

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