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アイサイベントウ

昨日、久しぶりに出社して、帰りが少し遅くなってしまったので、以前住んでいたシェアハウスに泊まらせてもらうことにした。

初期からずっと住んでいる住人の彩乃に連絡したら「ご飯食べた?」と聞かれた。「まだ食べてない」と応えたら、家に着いた途端、ほかほかのカレーとお味噌汁が出てきた。相変わらずおもてなしがすごい。

さらに「ちょっときて!」とキッチンに呼ばれると、明日のお昼ご飯用ということでタッパーにぎっしりと詰められたナポリタン弁当が準備されていた。僕以外にも社会人メンバーがいるので、しめて3人前。どれもデカ盛り、おにぎり付き。笑 頼んでもいないのに弁当とは。。。

カレーを食べ終えた頃にはすでに0時を回っていたが、寝ようとする社会人メンバーを引き留めて、何年か前に仕込んだ梅酒を飲みながら、少しおしゃべりをした。

その間も彩乃は、ふと思い出すたび「明日のお弁当楽しみだなー!」とつぶやきながらニコニコしている。
何が楽しみって、本人が弁当を食べることではない。僕らが弁当を食べることを楽しみにしているのだ。人に飯を食べさせるのが楽しくて嬉しくて仕方ないというようだった。

この家はいつもそうだ。フラッと立ち寄ると、これでもかというほどおもてなしをされる。
この場所を作った男のおもてなし精神が、家中に染み込んでいるのである。

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10月、そいつは交通事故で亡くなった。

料理がプロ級に上手く、その腕を惜しげもなく使ってとにかく誰かに飯を振る舞うのが大好きなやつだった。

仕事終わりに遊びにいくといつも、お腹が減ってるかどうかに関わらず何かしらを食べさせてくれた。突然「カラスミと白子のパスタ」が出てきたり「二郎の煮汁で作った行おじや、ミョウガ添え」が出てきたりした。いつも初めて見るようなメチャうま料理を食べさせてもらった。

脊髄反射で人に優しさを向けられる男で、自分のためでなく人のために何かをする方がずっと幸せになれるんだ、ってことがわかってるようなやつだった。

あいつがいなくなって、もう4ヶ月が経った。

いなくなってしまったことによる喪失感はまだまだあるけど、そうではない感情も持てるようになってきた。

なんだか彩乃を見ていると、あいつが好きだったことや、大事にしてたことが、そのまんま彩乃に受け継がれているように思えるのだ。
あいつの最後の数年間を一番近くで過ごしてきた彩乃には、至るところにあいつの魂が乗り移っていると感じる。

お弁当もそう。もともとそんなに勤勉に弁当を作ったりするタイプではなく、どちらかというとむしろ年上のお兄さんたちを振り回すわがままな妹って感じの子だった。それが今では明らかにたくましくなって、どっしりと構えるヤンママという感じだ。
そして、誰かのために何かをすることに心から喜びを感じているように見える。あいつがそうであったように。

この変化は、彩乃だけじゃなくて、周りにいた一人一人に起きている。みんながそれぞれあいつから何かしらを受け取って、その魂を今に息づかせているように感じるのだ。

たぶん、僕もそう。僕も何かしらを受け取って、今生きてるんだと思う。


・・・そう思うと、なんだかあいつの魂が、今この世界でも生きている気がして、ちょっとだけ寂しさが紛れるような気がするんだよな。


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翌朝、僕らが出社するタイミングで彩乃も起きてきた。

「やっと渡せるー!」と手渡されたお弁当には、

アイサイベントウ(愛彩弁当) ハタ用

という貼り紙がついていた。


いつもありがとう。ごちそうさま。

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