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月曜日のたわわ問題から見る偶像に対する妄想と有り得べき理想像?(後付タイトルの為少し適当)

 当方、ざっくりとネットでタイトルの事柄が話題になってる事を知り、当該作品についても忍者パット見くんです。
 然し、明らかに女子高生を性欲の対象として、尚且、そこに男の浪漫ポランスキーをこれでもかと詰め込んだ、マシマ二郎系ラーメンJKが描かれた作品である事は察せられますね。…いやいや(汗)、そんなギトギトな欲望の眼差しでの女性の見るやり方を全開にして、しかもそれを公衆の目に周知させる形になるように大々的な広告を打てば、大抵の女性が不愉快になる事必至、なのが分からなかったのかな〜、う〜んこの、、、。
 もし、これが作者のTwitterでの炎上ならば、成程、客観性の欠如によるものかなと推察もしやすいが、複数の企業が関わって動くプロジェクトの果に引き起こされた問題である事が尚、問題の深刻さを語っている感じがしてしまいますね〜。
 いやはやなんとも、ともあれここでも、男女の仲での粋といなせがカツカツに欠如しとるのかなと小生愚考しますです、ハイ。
 ……いや〜令和の現在(いま)が何となく分かりますね。
 さて改めまして私事ながら、当方、日月神示の道にて、人間の偽と醜と悪を、真と美と善とも引っ括めて祀り纏わりの果に彌榮に進む事志す者也。なので人間の内面の欲望を認めて、既に存在するそれを、(無理くり捻じ伏せるのは実は余りメリットが無く)それらが何処から来て、また如何にすれば(祈れば?)昇華させられるかをよく理解して、肚をゝと同じ様にしっかりと据えて、いざ全生に邁進する事が大事だと考える葦でもあります。まあ要するに日月神示では"此の方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った神ざぞ、此の世かもう神でも我出すと失敗るのざぞ、何んな力あったとて我出すまいぞ、此の方がよい手本(みせしめ)ぞ。"との教示もあり、詰まる所このたわわ問題とは、愚かな我々男性の我儘な妄想を出し過ぎた事が見事しくじり先生に繋がったのかなといます。
 やはり、偶像的な美は決して追い求めず(日月神示でも偶像は排せよとの仰せ也)、一時的な快楽での少欲を満たす事も決してせず(意味の無い事はせず)、とことん愛と幸福と真実に満たされる事を望む、誠意で織り成す強欲を抱いて、尊き救済への希望と祈りを踏まえて大歓喜の彌榮の道を志し、日々己の身魂磨きに勤しんでいれば、肉体心なんかも段々と薄まって、そうすると生半可な美に対する欲望で自分が動かされる事も無くなります。
 そしてまた若さの美とは、実はその内面の若き心が溌剌する様子こそが原動力なんだという事を忘れない事。これが大事なんじゃないでしょうか?これは老人と幼児には筋肉量の差は少ないが、その心の勢いに大きく差があり、それこそが生物としての美しさの差にも繋がっているとも愚考する故の意見ですが。
 そして、もしどうしても、生命力のみの面からその溢れる美しさに惹かれてしまうのなら、それに敬意を払う事(思えば潮騒でのその火を飛び越えて来いとのセリフはその覚悟を要求する意味なのかもしれません)の大切さを説きたいのです。
 何だかんだ時よ止まれお前は美しいと言ってみても、小生老いやすく学成り難しとあるのがこの世の常。大体にして、若さの中に美しさを認めだした時こそが、実は老いの始まりなのですが、己の中から飛去しつつあるその若さには敬意を払い、且つ、それを持つ他者にも馴れ馴れしく不躾にもならずにいて、己は己と、やはり自分との戦いに勤しみ身魂の掃除洗濯に励めば、己の肉体は兎も角、無形の筈の(己の)その精神をまでも老醜の権化に成り下げてしまうのを防げるのでは無いでしょうか?
 なので、痩せ我慢でもってでも決して己に怠慢と衰微を許さず、努力でもって若さに対抗し続け、自分より凄いから憧れるのでは無く、自分と同じ位努力する奴こそ凄いから認めてやるんだ何て意地を張ってみても良いでしょう(三島由紀夫先生の不道徳教育講座等から影響です)。
 ともあれ、美を扱う際には注意深く・敬意を払い、又、青春の体現者たる若者達という中々の好敵手への挑戦と対抗の愉しみも忘れずに。
 あくまでそれぞれ男女で仲を深めるのなら、(先に書いた肉体心に関する御告げでもある→)日月神示から"皆々心の鏡掃除すれば、それぞれに神かかるのぢゃ。肉体心で知る事は皆粕(カス)ばかり、迷ひの種ばかりぢゃぞ、この道理判りたであらうがな、くどう申さすでないぞ。"との御告げをばしっかりと肚に据えて、あくまで感動(感情が動くつまり、良い意味で心が動かされるという事)をこそゴールにして、お互い弥栄彌榮(やさかいやさか)で、めぐりあい宇宙and祀り愛宇宙、な関係でいたいですね。

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