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天使?悪魔?やっぱり天使

 オンラインレッスンを4ヶ月、ほぼ毎日続けてみての感想。
最初は無我夢中。出来る限りの方法を使って子どもたちの目を少しでも広いところへ。生徒の中にはオンラインになったことでよく話す様になった子もいるし、その不便さ故に声を大きく出したり表現が大きくなったり、と伸びた子も多数。ワクワクした。
 対面でない分画面を挟む分、より大げさに表情と声色とを使って子どもたちにたくさんの前向きな感情を届けたい。そう思って一人で画面に向かい大きな声を出し、オーバーアクションで話した。でも学校が始まり、子どもたちが疲れている午後のレッスンなどは、同じ空気の中にいないもどかしさを感じた。私が届けたいと用意したものを十分に受け取ってもらえない時もある。オンラインで一旦自分の手元に目がいってしまうと、そこからこちらに興味を引くのは至難の技。同じ空気の中にいるよりもずっと難しい。
 そのチャレンジをずっと続けての4ヶ月。最後に感じたのは、本当は私は疲れてたんだろうな、それを見ない様にしながら突っ走ってきたな、ということ。でもだからこそ、ずっと画面の前で笑っていられた。

 空気の力はすごい。この国の中では空気を読むことは必須。そして空気は大抵いつも読みやすい。私はその空気の流れを使って、「もっと言いたい」「先生に聞いて欲しい」「みんなに聞いて欲しい」「もっと聞きたい」そんな空気を教室の中に産み出して子どもたちと一緒に育てていた。
 それが画面で仕切られた中で、居心地の悪さを感じてしまった子どもたちがいたのも理解出来る。私と同じ敏感な子どもたちはきっと、それぞれが何を考えているかが見えずに気持ちが悪い思いをしたことだろう。

 オンラインレッスン中に私にダイレクトメッセージで酷い言葉を送ってくる子もいた。私が悲しい顔の絵文字だけを送り返すと、すぐに謝ってきたので、きっと怒らないであろう人相手に実験してみたかったんだろう。笑ってくれるか、困るのか、反応が見たかったのだろう。
 悲しむことは彼の想像になかったかも知れないけれど、そういうことは悲しいんだと伝わったら、それで良い。涙をこぼす絵文字に彼の心がザワザワしたのならば、それで良い。手書きでもない声でもない、このテキストにも人を傷つける力は十分あるということが伝わったのならば。

 画面の見えないところでおやつを食べる子、本を読む子、それを把握しながらもレッスンを続ける。一つ一つモグラ叩きみたいに叩くつもりはない。
学びなんて所詮、自分が受け取るかどうかだもの。私の心も疲れそうになったが、届けられるものを届けられる形で。
 それぞれ疲れていることも、どうしても身が入らないこともあるだろう。画面一枚隔てた向こう側まで私の想いは届かないかも知れないけれど、レッスンでいつも言っている言葉「自分が今日持っていける分だけ持って行ってね」を伝える。
 次々に手を変え品を変え、彼らがまた画面に見入る様に工夫をする。
そして最後のフィナーレ。
「みんな、よく頑張ったね。オンラインで、もどかしいこともあったでしょう。自分に拍手を送ろう!」
みんなでパチパチ拍手。
最後の挨拶の後、子どもたちの声。
「先生、オンライン楽しかったよ〜!」「先生、ありがとう」

 はぁ、そうだったのね。可愛い天使たちに送った、会えなくても学びを続けられるチャレンジ。途中悪魔に見える時もあったが、その悪魔を笑わせようと試行錯誤、悪戦苦闘。そして、最後画面の前で手を振っているのは、やっぱり天使の子どもたち。

 オンラインが終わったら、置き去りにしてきた私の心を少しいたわってやろう。結論としてオンラインは、対面と同じかそれ以上の効果を産むこともある。しかしそれは、「学ぶ意欲のある人が学びたいと思ったタイミング」に限る、ということも付け加えておこう。

 この自粛期間にオンラインレッスンを余儀なくされた先生方に、心から「おつかれさま!」と伝えたい。ご自分の心のケアも忘れずに。。。
きっと遅れて疲れがくるはずだから。

 

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