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子どもが作る学びの時間

 英語教室には、自分のアイデアや疑問をズバッと言ってくれる子がたくさんいて、私もその返答を楽しんでいる。ついついちゃんとしたこと言わなきゃ、とか納得させなきゃって大人は考えがちだが、どんな答えであろうと、自分が投げた言葉に対して真剣に考えて言葉を返す。そのラリーで人間関係が生まれるんだと思う。

 いつも英語の授業前に日常生活とも英語とも関係のない話題で、スモールトークをしている。お題はいろいろ。
「新発売のおにぎりがあったよ、中身はなんでしょう?」とか。「大きな箱が届いたよ。中身はなぁに?」とか。
子どもたちの答えがユニーク過ぎて、大喜利状態になることもあるけれど。

 先日は「不思議だな〜って思うことがあったらなんでもいいから教えて」と言うと、政治や化学、宇宙に生物、物の作りや人間関係、なぜ学校に行かなきゃいけないの...と様々。私はただ、「本当だね〜。不思議だね〜。なんでだろうね〜。」って相槌を打つだけ。
 でもそれだけで、クラスが「知りたい知りたい!」な雰囲気になるから不思議。学びのベースは「これしなさい」「あれを早く終わらせなさい」よりも、ただ「なんでだろう...」「不思議だなぁ...」なんだろうな、としみじみ興奮気味の子どもたちを眺める。

 最近は、質問する役もしたい、っていうから子どもたちに任せて、私はほぼ見て笑ってるだけ。でもそうやって「人はどう思うんだろう」「自分はこう思う」と会話を面白がるベースは、英語を使って世界の人と意見を交わす中では必須条件。なんなら日本では、英語よりも付きにくい力。大人で英語がペラペラでも、海外の人と真っ向から自分はこう思う、と意見を付き合わせる人は珍しい。しっかり聴いてしっかり話す。その力は圧倒的に日本の教育の中で育てることが困難なのだ。しかも、このMCを買って出る感じもとても気に入ってる。全部セリフが決まってる中のMCは出来ても、こうしてみんなが好き勝手に話をする場でのMCなんて、ファシリテーターとしても活躍できそう。子どもたちが「楽しい」の先に自分で見つけて動くことを、嬉しく見ている。

 子どもたちの一言。答えづらいものや、自分を否定された様に感じた時に大人はついつい「生意気言うな」や「今は関係ない」「黙って聞いていれば良い」などと力で押さえてしまうことがある。
 でもその多くは子どもたちの「なぜだろう」から自然に出てきていることが多いので「わからないけど、一緒に考えてみよう」や「もしそれがわかったら、先生にも教えて」など一旦受け止めてみると、違った学びが広がっていく。先生や親はいつもなんでも知っている必要はなく、むしろ「なんでだろうね」と共感してくれる存在でいることも大切なのだと思う。

 疑問を持つ子どもたちを納得させる方法として、納得出来る材料を与えることは、もちろん大切。ただその材料は様々で。それが「なるほど」と思わせる答えであっても良いし、「本当なんでだろうね」という共感でも良い。

 みんなが24時間忙しなくしている今、こうして自分の疑問が受け止められる時間こそ、贅沢な学びの環境なのではないだろうか。


*使用教材:しつもんブック100(tupera tupera)


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