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対話から生まれる学び

 私は普段から人と話す中での学びをとても大切に思っている。
相手が自分と違う意見を持っている時が特に面白くて、その人の信念を聴いていると「なるほど」と思える部分と、ではなぜそれが自分と違うのかと深く考える機会になる。相手の想いや方法に納得すると共に、自分がなぜこういう考え方なのかを改めて知ることが出来るのだ。

 そんなわけで、私は2010年に小学校英語活動指導員の資格を取る時も「小学校では絶対に英語が必要だ」と言う人と話すよりも、「小学生に英語は要らない」と言う方を見つけて話しを聴きに行ったり、そういう方の本をよく読んだもの。その中で自分が小学校でどう英語教育と関わるかを決めてきた。

 今は「子どもたちが学ぶ場所は、学校以外にもたくさんある方が良い」という持論のもと、日々反対の意見や同じ意見でも不安を抱える人たちとの語らいを大切にしている。その中でまた自分を確かめることが出来るから。
自分が偏り過ぎて沈まない様に。常にバランスを考えて進路を定めている。

子どもたちに選択肢を


 先日あるフリースクールから「ゲームを使った英語教育」の話を、とお話をいただいた。

 私がなぜフリースクールに興味を持ち関わるようになったのか、まずはそれを少しお話ししたい。

 私は英語教室を運営しているが、それは週に一度の別世界。日本の学校よりも欧米のクラスルームの雰囲気を重視している。それは、敢えて子どもたちが普段と違う刺激を受けるための環境作り。欧米の空手道場と同じ感覚だ。通常、子どもたちは行動範囲が極端に狭い。学校と家庭。もしそこに同じ理念が流れていたら、子どもたちに他の刺激は少ない。私がちょっと違う形で関わることによって、子どもたちには選択肢が増える。そんな感覚だ。学校も家庭もそれぞれの役割を担って頑張っているので、私もその中の一つだという意識で日々子どもたちと向き合っている。
 そんな中、不登校の問題と直面する機会が増えた。我が子含めて十数年、思えば自分自身も学校がしんどかった時期があったことを思うと、もう四十年以上私はこの問題と共に歩んでいるのかも知れない。
 一時期は学校の存在について考えたし、ホームスクーリングに興味を持ったこともある。でも今の着地点は、「学び場の選択肢を増やすこと」だ。
それぞれにそれぞれの規模や理念があり、そこにしかできないことがある。それぞれに役割がある。一番大切なのは、子どもたちそれぞれに「学ぶ場と機会がある」こと。一つしか場がなければ、そこに合わない子は学ぶことを諦めるのか、そんなこと絶対にあってはいけない。
だって、どの教育現場の大人のゴールも「子どもたちに学びの場を提供」することなのだから。合わなかったからそれで終わり、にしてはいけないのだ。

 学校がどうも合わなくて...と話してくれた以前の教え子が「先生がフリースクールしたら、絶対に行く!してください!」と言ってくれた時「なるほど」と思った。一人一人に合う場所があるといいな。
 そう考えている時に「こんなところがあるよ」と紹介していただいたフリースクール。一度訪ねてみると、私の大好きな「リノベーションされた古民家カフェの、新しいのにどこか懐かしく温かい雰囲気」が流れていた。そんな中で私は新しい教育を切り拓いている教育者の方々と語らうことになったのだ。

楽しい=自発的な学び

 今まで小学校や自治体の教育課、英語教育者の集まりなど、多くの場で研修やワークショップをしてきたけれど、一番私がしっくりくるのは「ゲーム」や「アクティビティ」を軸にしたもの。なぜかというと、私が英語教育で目指すことは「楽」。学びの基本は「楽しさ」だからだ。子どもたちは「楽しい」と思うことは進んでする。そこに注目したい。
 そしてそれをテーマにすることによって、その場に集まった教育者が実際「楽しさ」と「効果」を体験出来る。笑いが産まれ、その温かい雰囲気の中でコミュニケーションは円滑に進む。
 
 今出会う大人の方々で、英語を生業にしておられたり英語を学び続けておられる方に尋ねると、「英語の成績が良かったから好きなんです」という方よりも「英語の先生が好きだった」「英語活動でこんなことをしたのが楽しくてそれからずっと好きなんです」「海外の音楽が好きで」と言う方が多い。確かに英語はすればする程点数が取れるから、学習の効果が出やすくて好きな人もいるだろう。でも大人になっても英語に関わって人生を潤している方々の多くは「英語、点数はそこそこだったんですけどね、ずっと好きです」という方ばかりなのだ。

 ひっくり返すと、私の仕事は「英語って楽しい」「英語は友達!」(キャプテン翼の「ボールはともだち」と同じ感覚)という場を作ること。それに尽きる。そのための努力はなんでもするし、そのためのアンテナは立てる。    
私が海外の先生方に話を多く伺うのは、海外の先生方は「いかに子どもたちが自分でしたくなるか」のノウハウをたくさん持っているから。日本の「言ってさせる」教育とは180度違うから。

 私はこの「教え込みたい」「すぐに結果を出したい」日本の教育の中で、自分のバランスを取るためにこうしてしばしば海外の先生方と交流をする。そうでもしないと、この大きな流れに呑まれてしまう。
 でも、英語を教え込みたいあまりに余計なことをして「英語嫌い」「英語無理」「英語苦手」にさせるくらいなら、私はこの仕事をすべきではないと思う。船が流されない様イカリを下ろすごとく、私は常にそれを心に留めておく。

対話から生まれる学び

 ゲームやアクティビティ、アイスブレイクなどその場でその方々が一番手が届きやすく、他の学びに繋いでいけそうなことを紹介しながら、それに込めた意味をお話しする。私の動きや語りかけ、リアクションには一つ一つ意味があって、その全ては子どもたちを楽しませ、安心させるためのもの。
誰一人置いていきたくない、そんな想いを露骨に語ったつもりはなかったが、後からいただいた感想を拝見すると、それがしっかり伝わっていて驚いた。同じ志を持つ方々なので、その私のこだわりや想いは届きやすかったのかも知れない。本当に温かく心地良い空間だった。一つ一つのゲームでみなさんが笑い、驚き、気付く時間。そして私自身も大きな気付きをたくさん得ることが出来た。

 いただいたご質問の中には、私の様な漫画みたいな大きめのリアクションは必須なのか、「楽しい」と「結果につながる学び」は両立出来るのか、こんな時はどうするのか、こんな子には...と、私自身も一緒に考えながら面白いな、と思うことばかり。一つ一つ私も自分の中にあるものを出しながら、感謝の言葉を添えた。

 ワークショップの最初に「私は多分、この道をずっと進んできたので経験や知識はたくさん持っています。でも、正直どこでどれを出すべきかはわかりません。みなさんにとって必要なものは、みなさんが私の中から出していただきたい。だから、私の話を途中で止めてでも質問してください。」
そう伝え、たくさんの質問をいただいた。
これは、私が普段のレッスンでも学習者のみなさんに伝えていること。
「私があなたたちに必要だ、と思うことがあなたたちには必要ではないかも知れない。だから、レッスン作りを手伝って。必要なものを必要なだけ持って帰ってください」

 これも欧米のスタイルから学んだ。「事前に準備したものを時間内にしっかり発表する授業」ではなく、「事前に準備はするものの、途中で生徒が質問などで参加してくれることでその準備したものが半分くらい進めばいいかな、くらいの授業」。さて、どちらが日本でどちらが欧米かわかりますか。

 私は授業もワークショップも欧米スタイルを参考にしています。自分だって学びたいので。授業をすればする程力がつくなんて、最高じゃありませんか。
 「対話から生まれる学び」を子どもたちと一緒に体験していくのが私の学び場です。
 

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