人生は自分自身が創り出す
今が満ち足りているならば、口をついて不満が出て来る事はありません。
今に満足していたら、不平を漏らす事はありません。
不平、不満、愚痴、悪口などは、自分の、今、に納得がいかない事の、ほとばしり、です。
無闇矢鱈に好戦的な態度を取る人などは、その典型例と言えます。
お店に入れば店員に、タクシーに乗れば運転手に、道を歩けば道行く人に、文句を言ったり、怒ったりして、トラブルを起こす人で、今、に満足している人はいません。
私達の人生は、今、の連なりです。
軽やかな人生を望むなら、軽やかな今、を創り出すしかありませんし、
活き活きと生きたいと思うなら、活き活きとした今、を選び取る事が不可欠です。
何故なら、この物質世界に生きる私達が触れる事が出来るのは、今、だけだからです。
過去の思い出がどんなに色鮮やかに蘇っても、
未来の希望や不安がどれ程、現実味を帯びていても、
過去や未来は私達の思考が創り出す想念であり、決して触れる事は出来ません。
触れる事が出来るのは、今、だけなのですから、心地よい人生を歩みたいと思うなら、心地よい感情を選び取り、心地よい、今、を創造する事を、重ねる必要があります。
心地よい今、の連なりが、心地よい人生、です。
勿論、出来事や、他者の言葉に苛立ちや怒りを覚える事は、幾らでも有るでしょう。
身に降りかかる出来事も、他者の言動もコントロールする事は出来ません。
しかし、私達が唯一コントロール出来るのが、自分の心、です。
出来事や他者の言動によって、湧き上がる感情は、自分の心の中の事ですから、自分の制御下にあります。
自分の心だけはコントロール可能なのです。
他者から、悪意ある言葉をぶつけられた、とします。
他者の言動は、コントロール不可です。
他者の発する悪意ある言葉を押し留める事は出来ません。
悪意ある言葉を浴びせられたら、怒りが湧き上がります。
それは当然の心理的反応です。
しかし、ここで大切なのは、怒りが湧き上がったのは、自分の心の中であり、
心の中は、自分がコントロール出来る領域、だという事です。
怒りは、正当な怒りであっても、呑まれてしまって、好ましい結果に結びつく事は、余り無い、と思います。
コントロール可能な領域で起こっている事なのですから、湧き上がった怒りの感情を野放しにして、呑み込まれる必要は無い、のです。
場合によっては、このままにしておいては、相手がずにのって同じ事を繰り返すと思えば、釘を刺す為に、言い返す事が必要かも知れませんし、
取るに足らないと思えば、取り合わずスルーしても構わないのです。
湧き上がった感情を抑えつけたり、無かった事にするのでは無く、
相手の悪意によって湧き上がった怒りは、そのまま受け容れた上で、釘を刺すもよし、スルーするもよし、です。
感情をすくい上げ、感じ尽くした上で、釘を刺す行動に繋げるか、スルーする行動に繋げるのか、を選択します。
湧き上がった感情を野放しにして、呑み込まれるままにする必要は無い、のです。
この自分の心の中での選択の時、に忘れてはならないのが、
冒頭の、どんな、今、を創造するのか、だと思っています。
どんな、今、を創造するのか、が、
どんな人生にするのか、です。
どんな人生を選び取るのか、は、湧き上がった感情をすくい上げ、感じ尽くし、
その感情を自分の心という領域で、どういった言動に結び付けるのか、によって決まって来ます。
望む人生を歩もうとする時、
次の二点は重要だと思っています。
私達が触れる事が出来るのは、今、だけであること、
今、を創り出すのは、コントロール可能な自分の心の中での選択であること、
望む人生は、自分自身が創り出す、
そう思っています。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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