『アンネの日記』 今だから感じたこと
こんにちは。
コロナの自粛期間、いかがお過ごしでしたでしょうか?
外での運動に加えて、私は読書をしていました。
『アンネの日記』
ずっと読みたかった本です。
最近でいう、「積読」されてた本。
大学入学前にドイツに旅行し、強制収容所も実際に訪ねました。
それ以来読んでみたいと思っていたのですが、あいにく単行本の中でも分厚い部類に入る本。
持ち運びが面倒という理由からなんとなく避けていましたが、この機会に読めて良かったです。
読んで感じたこと、率直に書いていきたいと思います。
『アンネの日記』について、
少女が純粋に書き綴った日記が偶然にも戦後出版された、
そう思われてる方も多いのではないでしょうか。
とんでもない。
「戦争にまつわる手記を将来公開したい」と文部大臣が述べた放送を、アンネが聞きつけ日記を綴ったと本に書かれています。
13、14歳の少女が、本気で戦後に本を出版したいと思い、基礎資料として書き溜めていた日記なのです。
まさに、日記の文中にこのような言葉がありました。
「わたしの望みは、死んでからもなお生き続けること!」
14歳でこの言葉。
この言葉をまさに実現している。
感慨深くもあり、悲しくもあります。
客観と主観
この両面がバランスよく書かれているなとまず感じました。
中学生の年とは思えないほどの知識量、思慮深さ。
外界の出来事に対しての考察や、日常における鋭い観察力。
あくまでも俯瞰した目で、冷静に物事を捉えていました。
その反面、思春期らしさを感じる部分もあります。
友情と恋心の狭間を行き来するような日常、
反抗期のように悩む家族関係、
一緒に住む人たちに対する愚痴。
私たちは当時の戦争の歴史を知っています。
悲惨な戦争の裏で
身を潜めながらも普遍的な感情を抱き、生活していた。
ただ戦争に嘆くだけではなく、
ただ強く強く気を張って勇者を演じるのではなく、
ひとりの少女として様々な想いを巡らせながら生きていた。
これがこの日記の素敵なところだと感じました。
アンネの考え方
コロナ禍の時期だからこそ、印象に残った箇所があります。
母親との考え方の違いを述べるときです。
誰かが落ち込んでいるとき、ふさいだ気分でいるときの考え方について。
アンネの母の考え方は以下のようなものです。
「世界中のあらゆる不幸のことを思い、自分はそれと無縁でいられることに感謝なさい」
間違っているとは思いません。
事実、自分より悲惨な目にあっている人もいると思えば、気が楽になると思います。
アンネの考え方は次の通りです。
「外へ出るのよ。野原へ出て、自然と、日光の恵みとを楽しむのよ。自分自身の中にある幸福を、もう一度つかまえるように努めるのよ。あなたの中と、あなたの周囲とにまだ残っている、あらゆる美しいもののことを考えるのよ。そうすれば幸せになれるわ!」
目的は一緒でも、考え方は対極的です。
今、自粛期間中に外へ運動に出た人も多いのではないでしょうか。
運動不足解消、というような目的で。
私も当初はそうでした。
体を鈍らせないため、筋力維持のため。
でも、いつしか景色を見て、初夏へ変わりゆく季節を体感することに趣を感じていました。
駅とは逆方面に走って、木が川沿いに並んでいる道を新たに発見しました。
自粛期間当初は桜が満開でしたが、今は青々とした木が生い茂っています。
散歩が気持ち良い夕暮れ時も大好きになりました。
いくらIT化、デジタル化が進んでいても、
自然は人にとって欠かせない。
アンネが置かれていた状況とは雲泥の差ですが、
閉鎖的な空間で人間が本能的に求めることは同じだなと。
この時期に読んだからこそ印象に残った箇所でした。
読んだことのない方も、昔読んだことのある方も、今だからこそ感じられるアンネの強さ、儚げさがあると思います。
よろしければ、是非この機会に手にとってみてください。
長文、ご拝読いただきありがとうございました。
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