見出し画像

アルパカとわたしのこと「アルパカ雑貨をつくろうと思ったきっかけ」

軽めの回答としっかりした回答

今回は、わたしがアルパカ雑貨を作ろうと思ったきっかけを話そうと思う。
よく聞かれるのがこの質問だ。この質問の回答は2つ用意している。
一つは軽めな言い方。「まだアルパカが知られておらず雑貨が少なかったので自分で作ることにした。」
ただこれは、いろんなことを端折っての軽めの回答だ。初めて会った人とか、イベント出店で聞かれたらこう返答している。
しっかり話そうとするとどうしても相手に気を使わせてしまう気がするからあまり話さない。
ここではちゃんときっかけを書いていこうと思う。思い出すのがちょっと辛くて連載も時間が空いてしまったほどだ。

話していくにはちょっといろんな出来事がありすぎているので、いきなり年表にしてみるが、こうだ。

ぎゅうぎゅう☆私のライフイベント年表

2007年10月 母が難病になる
2008年7月 会社を辞めて母の看病生活に入る
2008年8月 クラレのアルパカのCMが放映
2009年9月 結婚
     アルパカ人形発売ラッシュ
2010年6月 地元でクラフトイベントの告知をtwitterで見る
2010年8月 そのイベントでsunokko designと屋号を決めてアルパカ雑貨を販売
2010年10月 母、亡くなる

母が難病になって

母の難病は「ランバートイートン症候群」という病気で、国内にも200人ほどしか患者がいないらしい難病だ。56年間とくに大きな病気もなかったのに突然発病した。
肺がんに由来するものだが、がん細胞が免疫に悪さをして運動神経の信号を遮断するという症状。つまりは体を動かせなくなり寝たきりになってしまう病気だ。
その病名が分かるまで病院を行ったり来たり。病名を調べるため病院がアメリカに血液を送ったりした。入院退院も繰り返していた慌ただしい時期に第一次アルパカブームが起こる。その頃は会社を辞める決心をし母の看病に必死だったのでアルパカに会いにいく事もできなかったが、CMやテレビで流れるアルパカの話題が聴こえると手を止め「アルパカって言葉をいろんな人が言ってるな〜」と嬉しくなったりした。
本当に、私の人生のイベントがこの2008年〜2010年にぎゅっと詰まりすぎている。

2010年、母は長く入院できないという病院の決まりもあって、自宅での介護に切り替わった頃だ。その頃にはもう自力で呼吸はできなくなり家に酸素発生機を置いて呼吸器をつけていた。意識はしっかりしていて、呼吸器をつけながら短い会話をしたりアイコンタクトで意思疎通を行なっていた。母の精神力には本当に感服する。普通は心が病んでしまうと思う。
だが症状は良くなることはなく、発病して3年、母はゆっくりと死に近づいていた。終わりの見えない日常。でもその終わりは来てほしくない。私たち家族もお互いを労りあいながら介護を続けていたが体も心も疲弊してきていた。
入退院を繰り返していた時は慌ただしくて考えることもなかった「社会への復帰」というのを、自宅介護に切り替わってからよく考えるようになっていた。介護に入って3年、私は30歳。「今後の自分」を考えると不安が襲って来た。父と姉は会社員をしながら介護をしていて、実家に同居してくれた妹夫婦は子育て真っ只中。会社を辞めた事には微塵も後悔していないが、終わりの見えない介護生活では「社会への復帰」がキラキラしていて逃げ道のようにも感じていたんだと思う。
ずっと描いていたギャグ漫画も、介護生活の中では面白いことなど浮かばず考える気も起こらず筆も止まっていた。あんなに毎日漫画を描いていたのに。ずっと続けて来た「自己表現の場」がなくなってしまった事も、仕方ないとはいえ辛いなと感じていた。

毎日みていたTwitterで流れて来た情報

Twitterは毎日見ていた。スマホ中毒なんて言葉はなかったら、今考えるとそうだったのかもしれない。普通…かどうかはわからないけど人様が生き生きと生活し働いている様子って、こういう閉鎖的な生活をしていると「みんなばっかり自由で妬ましい」みたいな気分になるのかもしれないが私は違った。友人や知らない人がなんてことはない日常を普通に暮らしている様子を見るのが好きだった。なんだかとてもほっとしたのだ。時々友人とTwitter上で言葉を交わし、私もみんなの日常に繋がっていられてる…と感じられるのが嬉しかったのだと思う。

そんな折、毎日見ていたTwitterで、地元でクラフト系のイベントを開催するので出店者を募集しているというツイートを見かけた。2010年あたりはまだクラフトイベント事態が珍しいもので、お?と目に止まった。
とても偶然なのだが、このイベントの収益は難病患者に充てられるという主旨だった。
今の自分の状況で、無理なくなにか社会と繋がれるのはこれかもしれない、と思った。藁にもすがるような思いに近い感情で、雑貨を作ってイベントに参加してみよう!と思い立った。この時期は本当に睡眠時間もなくヘトヘトだったのだが、だからこそ(このままでは)という想いが湧き上がったのだと思う。

何を作ろうか、と考えたところ真っ先に「アルパカ」が浮かんだ。
ギャグ漫画の創作は全くできず面白いことが思い浮かびもしなかったのに、アルパカのことを考えると心が和んだ。アルパカなら表現できるかもしれない。
アルパカブームが来ていたとはいえ、今ほど雑貨が溢れていることもなかった。人形は流通していたが、雑貨はほとんどなかった。やっと見つけたものでも、私の感じたアルパカの「かわいい」とは少し違っている。
かわいい〜!というよりはやっぱり「不思議なフォルムと表情」でどこかヘンなのが良いのだ。
ならば…私が欲しい、私の思うアルパカ雑貨をつくればいいんだと気づきコンセプトが決まったのだった。
次はそれをイラストに落とし込む作業になる。ここがとてもとても難しかったのだ。

2010年9月に1年遅れで挙式をした。その時のアルパカウェルカムドール。母は出席叶わず家で留守番。

つづく。
次回「じぶん好みのアルパカの描き方に試行錯誤する」です。お楽しみに!

このマガジンはアルパカのことやアルパカとわたしのことを綴っていくエッセイです。週1の更新でやっていきます。いつか本にできるぐらい溜まったら、ZINEにしたいと思っています。
続けられるようにがんばりますね。(もっと読んでみたいぞという方はいいね!の応援お願いします〜)

読んでいただきありがとうございます。サポートをいただいた際には、より良いアルパカ雑貨を作るためアルパカに会いにいく旅費に充てさせていただきます。