見出し画像

20,07,07。私の愛したアルバム⑪

Freddie Mercury最後の恋人として知られるジム・ハットン氏の著作
「フレディ・マーキュリーと私」によると氏がFreddieからエイズ感染のカミングアウトを聞いたのは「バルセロナ」制作直後だったそうです。

86年ネブワースでのQueen最後のライブ後Freddieは「今後ライブステージに上がるつもりはない」とインタビューで答えていますが時系列的にもFreddieが自らのエイズ感染を知り、自分に残された時間に限りがある事を確信したのがこの時期から「バルセロナ」制作の間だったことが窺われます。

Montserrat Caballéの唄声に強い感銘を受けて、自分がボーカリストとして万全に力を出せるうちになんとしても共演を果たしておきたかったが故の強行スケジュールだったのでしょう。

Freddie Mercuryは「バルセロナ」発表後Queenとして2枚のアルバムを制作していますが個人的にボーカリストとしての頂点は本作「バルセロナ」なのではないかと思っています。

デビュー当時から比べるとこの時期のFreddieの声質はかなり太くなっておりファルセットを用いた時に「いかにも裏声」な印象でしたが、世界的ソプラノ歌手であるMontserrat Caballéとの共演である本作ではあえてファルセットに頼らず、彼ならではのテノールの味わいを前面に出す事でどの曲もバランス良くしっとりとした世界観を出す事に成功しているように感じます。

初めてのミーティングでは「Exercises in Free Love」のデモテープしか出来ていなかったそうですが、意気投合した二人はマイク・モランらと共に収録曲を書き上げすぐにアルバム一枚分を制作してしまったと言われています。

バルセロナオリンピックでも使用された表題曲を筆頭にFreddieのちょっとビックリするくらい自然な日本語が印象的な「La Japonaise」や、いかにもオペラチックな「The Fallen Priest」、さらにMontserrat Caballéに「自分にこんな歌い方が出来るなんて…」と言わしめたゴスペル展開の中間部を持つ「The Golden Boy」とFreddieのこの手の側面が好きな方には堪らない曲揃いです。

アルバム最後のメドレー「Overture Piccante」は若干蛇足臭があるものの、「Guide Me Home」から「How Can I Go On」への流れはいまだに聞くと目から汗が出そうになるほどの素晴らしさです。

あまり自分が好みだからと言ってアルバムを人に勧める事は良しとしていないのですが本作は別です。未聴な方でこの手の音楽に抵抗のない方であれば胸を張ってお勧めできます。

オリジナルアルバム以外にもバックの演奏をすべてオーケストラに変えたバージョンもあり、今回noteを書く為に聞いてみましたが良い感じでした。

たまたま自分のnoteを目にされた方が興味を持ち「バルセロナ」を聞いて感銘を受ける様な事があれば光栄の極みです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?