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20,03,11。9年前①。

東日本大震災が発生した3月11日から9年経ちました。

9年前の震災当時自分は14時頃作業がほぼ片付き、遅めの昼食を取るべく入ったラーメン屋でまさに運ばれたばかりのラーメンをすすっていました。

時間的に中休み寸前だったこともあり店内に客は自分ひとり。顔なじみの店主と雑談などしながらラーメンを食べ始め「明日もこのくらいの時間に終わると楽だなぁ…」などと呑気に考えていた時、揺れに気が付きます。

「揺れてるねぇ…」
「あれ?ちょっと大きいですかね?」
「おおおお。だいぶ大きくない?」
「うわうわ。ガス消さなくちゃ!」
「やばい…外に出よう!」

店主と二人外に出た時に目の前に広がっていた町並みはいつもの見慣れた景色ではありませんでした。未経験の大きな揺れによって電柱&電線は大きく揺れ動き、舞った埃で景色がなんだか白っぽくなっています。

その時点ではまさかこの揺れの震源が東北だとは思う訳も無く、発生した際に起こる事があれこれ想定されていた首都直下型地震がとうとう来たのだと勘違いしていました。

とりあえず揺れが収まり店に戻るとテーブルの上にはまだ数口しか手を付けていなかったラーメンが少しス-プがこぼれた状態で乗っています。

「こんな時はまず落ち着かなくちゃなぁ」そう考えた自分はとりあえず残ったラーメンをきれいに完食し、テーブルを拭いて「ガス止まってるし今日はもうダメっすね」とぼやく店主に代金を払い店を出ました。

まずは会社に戻ろうと考えバイクにまたがり走り始めます。
電柱の倒壊等のトラブルがあったとしてもバイクだから何とかなるだろうと考えていましたが意外と町並みはいつもの通りで、時折人が集まって今の揺れについて話している様子が目に付く程度です。

会社に戻ると同時にかなり大きな余震が来ましたが内勤者がざわつく程度で幸いにも社内に大きなトラブルは無く、とりあえず必要な事務処理を終わらせ家に向かう事に。

社内のモニターに映るTVで震源が関東ではなく東北で有り一部では最大震度が7を超えていると知りましたが、その時点ではまだ津波警報が出ているだけで被害情報は出ておらず家路へ向かう道もさほど普段と変わらなかった事からまさかその後数か月に渡って非日常を味わう事になるとは夢にも思っていません。

妻が仕事から娘は外出先から帰っていない為誰もいない我が家に帰宅すると10階建てのマンションの5階という事で結構揺れたらしく特に台所が食器棚から飛び出した食器の破片で足の踏み場もないほどでした。

一人黙々と片づけをして止まっていたガスを復旧させ家族の無事を確認し一息つこうとTVを付けるとそこに広がっていたのは未曽有の被害を出すことになる津波による惨状でした。






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