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20,09,11。プロレスの話⑫

歴史に「if」はつきものです。プロレス界にとって黒船となり、結果的に短期間で消滅する事になったメガネスーパーによる団体SWSですが、もしも歯車がすべてうまくかみ合ったなら日本のプロレス界及び後の総合格闘技と言うジャンルが今とは全く違う発展を見せたのではないかと思っています。

1990年旗揚げからわずか2年で活動停止となったSWSですがその一番の原因は週刊プロレスによる徹底的なバッシングでした。

当時自分は20代後半に差し掛った社会人。プロレスファンで週プロ愛読者ではありましたがプロレスの試合がガチと信じて疑わないいわゆる信者ではありませんでした。

毎週愛読していたとはいえ、当時絶大な影響力を誇った週刊プロレスの方向性には以前から疑問を感じていましたからSWSに対するバッシングには編集長であるターザン山本氏によるジェラシーが原因の暴走としか映らずかなり不愉快だった記憶があります。

もう一つの原因としてスポンサーであるメガネスーパー社長がプロレス信者だった事が大きかったと思っています。プロレスがエンターテイメントでありその試合が「競技」では無い事やレスラーが基本的に「俺が一番」な性格の人間達である事をを知らないまま潤沢な資金で業界へ参入した為、結果的にいいようにしゃぶられてしまったように思えてなりません。

天龍革命で全日本プロレスを活性化させ、団体に大きな貢献をしたにもかかわらず相棒の阿修羅を解雇され扱いに煮え切らなかった天龍を獲得したまでは良かったのですが、天龍の「積極的な引き抜きはしないが来るものを拒むことはしたくない」と言うポリシーの元集まったメンバーの顔触れには正直首をかしげざるを得ませんでした。

「新天地で自分の可能性に賭けてみたい」と言う言葉が似合うレスラーも居ましたが、どう見ても元の団体ではこの先冷や飯を食わされる事が見えているので良いタニマチの元に駆け付けたようにしか見えないレスラーが多数を占めていたように映りました。

いかに熱い試合を見せてくれるレスラーではあっても団体の主導権をレスラーが握るとろくな結果にならない事は歴史が証明しています。ブレーンとなる百戦錬磨のフロントとかみ合ってこそ団体の発展につながる訳で、圧倒的なカリスマだった力道山、馬場、猪木、(おまけで)大仁田らの一本柱で有ればともかく、育った団体が違うレスラーがいいように主張すれば団体が上手くいくわけがありません。

もしもメガネスーパーの参入を既存団体が友好的に受け入れ、ファンに対する影響力が大きかったターザン山本氏がブレーンとしてバックアップし、団体を一から旗揚げするのではなく天龍をはじめとする数名の選手のみの所属で戦いの場を提供するような形であったなら…後のWWEの様な世界的なエンターテイメントになった可能性もあったと思います。

全てが負の方向に傾いたSWS。団体として短命に終わっただけでは無く、良い意味でも悪い意味でも他の既存団体に大きな影響を与える事になるのでした。

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