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20,09,06。プロレスの話⑥

新日本プロレスのTV放送を毎週欠かさず見るようになってから数年後、80年代に突入すると同時にいわゆる黄金期と言われる時代がやって来ました。

人気が爆発する事になった最初のきっかけは何と言ってもタイガーマスクの登場です。タイガーマスクのデビュー戦はリアルタイムで見ていましたが最初は「なんで今更アニメキャラを…」とさして期待していませんでした。

TVの前のある程度新日本プロレスを見続けてきた大多数のファンもおそらく同意見だったでしょう。youtubeにあるデビュー戦の動画を見ていただければお判りになると思いますが、デビュー戦のタイガーマスクのマスクとマントは明らかに急ごしらえの粗末な物で会場のファンもタイガーマスクが入場してきたときには軽く失笑ムードだったようです。

そんなお世辞にも大歓迎とは言えないムードの中試合が始まりましたが、ゴングと同時に会場のムードは一変することになりました。

ゴングが鳴り対戦相手のダイナマイト・キッドとの間合いを図るタイガーマスクの動きは今まで見た事の無い動きだったのです。軽やかにステップを踏みながらリングを動き回り、あいさつ代わりに放つ威嚇のキックの打点の高さは今までのレスラーが放った事の無いものでした。

デビュー戦の相手が既にジュニアのレスラーとして高評価を得ていたダイナマイト・キッドだった事も幸いし、会場とTVの前のファンの度肝を抜く試合を繰り広げ、当時はまだ高度なフィニッシュ技だったジャーマンスープレックス(それも見た事の無いような高角度)でピンフォールと言う文句の無いフィニッシュでデビュー戦にしてファンのハートを鷲摑みにしたのです。

現在の様にネットですぐに検索できる時代ではありませんでしたから、いかに毎週の放送を欠かさず見ているようなファンでもタイガーマスクの正体は比較的謎のままでした。

デビュー戦でいきなり話題沸騰となったタイガーマスクは正に「謎のマスクマン」であり、後に四次元殺法と呼ばれる事になるムーブと共に子供から大人まで多くのファンから大人気となり、華やかさで差を付けられていた全日本プロレスとの差を一気に逆転させる引き金となったのです。

その後アントニオ猪木による「世界一のレスラーを決める」IWGPの構想が提示され、藤波と長州の仲間割れに端を発した日本人レスラー同士の抗争の激化と団体の勢いは増すばかり。地方巡業をはじめすべての会場で連続して超満員連続記録を打ち立てるなど新日本プロレスは我が世の春を謳歌する事になっていくのでした。

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