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私はパラダイスには住めない

透き通った水面。そこに反射して、きらきら輝く太陽の光。私たちを乗せた漁船「ダーリン号」の両脇に生まれる白い波。

エメラルドグリーンとコバルトブルーが織りなすグラデーションを見つめながら、なんて贅沢な時間なんだろう、ここはパラダイスだろうかと、私はため息をつきました。



2018年5月、ベリーズ。

私は会社のボランティア休暇制度を使って、カリブ海に浮かぶ無人島「ハーフムーン・キー(Half Moon Caye)」を訪れていました。

そう、目的はボランティア。

海洋生物の生態調査を目的としたこのツアーの存在を知ったのは、さかのぼること半年前のこと、「去年参加したけど良かったよ」と海好き仲間が送ってくれたリンクがきっかけでした。

ちなみにその友人は、仕事後に水族館に通って、ボランティアでアシカの世話を続けているような人。一方の私は、ただ海をぷかぷか漂っていればそれで幸せ、というタイプの人間。

「ボランティア活動なんて私は慣れてないけど大丈夫かな?」という一抹の不安がよぎらなかったこともなかったのですが、リンクを開くなり飛び込んできた「グレートブルーホールでダイビングができる」オプションが、全てをかき消しました。

「グレートブルーホール」というのは、ベリーズにあるダイビングの名所。「カリブ海」や「グレートブルーホール」の魅惑的な響きと、普通のダイビング旅行とは一味も二味も違う体験の予感に、気づけば私は申し込みをすませていました。


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そして2018年5月、私はベリーズの首都ベリーズ・シティの空港で手書きの搭乗券を握り締め、トロピック・エアが運行する小型機に乗り込んでいました。決まった座席なんてものはなく、10人乗りくらいの乗客は、並んだ順に割り振られていきます。

私が座ったのは、3人がけソファ席の端っこ。窓の外に広がる海がよく見える位置でした。深さの違う海や小さな島々が生み出す模様に見惚れること15分、サン・ペドロに降り立ちました。

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このサン・ペドロが、これからお世話になる団体「MarAlliance」の本拠地であり、スタッフやほかの参加者との集合地点です。


空港のすぐ真横には、歩いて渡れる幅の道。小さくて素朴な町だな、というのが、サン・ペドロの第一印象でした。

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それも1週間後、無人島生活を終えて戻ってきたときには、「道路が舗装されてる!車が走ってる!」と、その都会ぶりに感動するのですが・・・。



翌朝6時頃。

私は前日夜に顔合わせを済ませたばかりの旅の仲間たちとともに、サン・ペドロの港にいました。ハーフムーン・キー島へ向かう定期便なんてものはなく、私たち専用の船には、食糧をはじめとする無人島生活物資が次々と積まれていきます。

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もちろん、航路もオーダーメイド。途中グレートブルーホールで船を降り、40mの深さに潜ったりもしながら、5〜6時間かけて無人島へと向かいます。


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ハーフムーン・キー島は、絵に描いたような楽園でした。


そこには水道もガスも電気もありませんでしたが、かわりに白い砂と生い茂るヤシの木が私たちを出迎えてくれました。

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海をのぞむ砂上の白いテントが、私たちのすまいです。

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日中には真っ青な海が、夕焼け時にはピンクに色付く空が、夜には満点の星が、この小さなすまいを彩ってくれました。頭につけた懐中電灯を頼りにテントに向かう道すがら、頭上に広がる星空に息を飲み、思わず足をとめて座り込むなんてこともしばしば。


スタッフが発電機を持ち込んでいたので、交代で携帯やカメラを充電することもできました。とはいえ電波なんて届くわけもなく、携帯がはたす役割は目覚ましのアラームと夜間のライトくらいでしたが。


特に私が好きだったのが、アクティビティの合間の時間。たとえば海中にGoProをしかけてから、メモリがなくなる頃合いをみはからって回収にいくまでの間など、ちょっとした空き時間のたびに船から海へと飛び込んでは、サンゴ礁のまわりでシュノーケリングをして過ごしました。

ライフジャケット着用が義務付けられたリゾート地でのマリンアクティビティに慣れた私にとって、体一つで海を漂う感覚はとても久しぶりで、どことなく懐かしくて。30度前後のあたたかい海に包まれた身体はとても軽く感じられ、何時間でもそこに浮いていられる気がしました。

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お腹をすかせて陸に戻れば、スタッフがご飯を用意して待ってくれています。素朴ながらも地元の味が楽しめるよう工夫された料理に、鍋いっぱいの熱湯で淹れるリプトンの紅茶。それから、その辺に落ちているココナッツに穴をあけて飲んでみたりもしました。

木陰のベンチでのランチタイムが終われば、椰子の木につるされたハンモックで、波の音を子守唄にお昼寝をすることも。

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それから、私たちのもとには日々色んなゲストがやってきました。

海辺で魚をさばけば、においにつられてナースシャークが顔を出す。

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海で泳げば、カメが通りすがる。

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そのたびに私たちは作業を中断し、その姿が海に消えて見えなくなるまで、エサをあげたり写真をとったり。豊かな生態系を、心ゆくまで堪能しました。



テントを取り囲む白くて柔らかい砂の上を素足で歩くとき、夕焼けに染まってヤシの木が色付くとき、スピードを出したボートの上で風が優しく顔を撫でていくとき。私はすべてを忘れて、地球上にこんな場所が存在することがただただ幸せだと思いました。


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ところが、肝心のボランティア活動で、私はなかなかにポンコツでした。


活動のひとつは、みんなで一定間隔を保って海を泳ぎながら、自分の受け持ちエリアにいた生物の種類と大きさを記録していくというもの。

とはいえいきなり目視で大きさを測るのは難しいので、まずは陸で練習タイムです。生物を形どった紙をスタッフが砂浜に並べ、私たちはそこを練り歩きながら種類や大きさを予想して紙に書いていきます。

中米という立地もあって、参加者のほとんどがアメリカ、つまりフィート文化圏からきているのに対し、私は思い切りメートル文化圏育ち。「メートル法で書くこと」という指示に、「これ私有利じゃない?」と思った・・・・・・

のも束の間、私が「20センチくらいかな?」と思うと実際は50センチくらいで、「1メートルはあるよね」と思えば2メートルという有様。そういえば、私が買ってくるバッグやら小物入れやらのサイズはいつも的外れだったなと、今更ながら思い当たります。

それから、とにかく生き物が覚えられない、見分けられない。「あれは絶対サメだ!」と思ったらウナギだったり、みんなが見つけた魚の群れを私だけ見逃していたり。

挙句の果てに、買ったばかりのフィンで靴ずれをおこして泳げなくなり、けっきょく船の上からみんなを応援して過ごしました。


それから、サメの生態を調べるため、トラッキング用チップをヒレに埋め込む作業。

と聞くとGPS付きのハイテクな何かを想像するかもしれませんが、実際の作業はかなりアナログ。穴あけパンチでサメのヒレに穴をあけ、そこに数字が書かれたチップをガシャンと埋め込む、というものでした。

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後日、協力団体や地元の猟師さんがチップの埋まったサメを見つけたら、その番号と一緒に時期、場所、体長をメモしてもらいます。その情報を集め、サメの成長や行動パターンを追う、というわけです。

そのために私たちがどこから手をつけるかというと、サメをおびきよせるためのエサを釣ってくるところからなんですね。

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で、エサを切り刻み、これまた手作りの罠の中に仕込んでいくのですが、それがまた大変で。カラビナはかたくてスムーズに動かないし、血がついた魚を取り付けないといけないし。白かったラッシュガードはあっという間に黒いシミだらけになり、生臭いにおいもとれなくなりました。

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そしてそれ以上に曲者だったのが、罠にかかったサメにチップを埋め込んでいく作業。

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このあたりに生息するサメは、ジョーズなどでイメージするような危険なサメではなく、人に危害を加えたりはしません。

とはいえ、人間の仕掛けた針が口に食い込んでるとなれば、彼らも逃げようとして暴れる、暴れる、暴れる。

それを数人がかりで押さえつけている間、一人がヒレにカシャンと穴をあけるのですが・・・これがまた、硬い、硬い、硬い。

それから、サンプルにするためヒレの一部を切り取って持ち帰るのですが、そのハサミの切れ味も悪い、悪い、悪い。

私はこの動き回るヒレにも穴あけパンチにもハサミにもことごとく苦戦し、私の番がまわってくると、人一倍どころか4倍も5倍も時間がかかりました。

罠をしかけた地点に戻る時間がくるたびに、内心「今回はあまりサメがかかってませんように・・・」と船の上で祈ったものです。




それから、最初はただただ楽園に思えた島の生活ですが、3日、4日と経つにつれて不便さが存在感を増してきました。


素足で歩ける砂浜は心地よかったけれど、砂が容赦なくテントの中に入ってきて、ベッドもシーツも砂まみれになってしまう。足についた砂を洗い落とすため、水をはったバケツを入り口に置いてはみたものの、かえって砂と水が混じった泥の侵食を許してしまう結果に。

トイレやシャワーの帰りに見る星空や夕焼けは美しかったけれど、ボットン式トイレの臭いは気になるし、シャワーにも温水なんてものはない。しかも初日に水を使い過ぎてしまい、恵みの雨によって水不足が解消されるまでの2日ほどは節水を余儀なくされたり。

ボートの上で感じる風は気持ちよかったけれど、夕方にはその風は凶暴になり、私たちのテントを揺らしにかかりました。風が強い日には、いつもより高い波でずぶ濡れになって陸に戻ると、テントがいくつも倒れていたことも。日差しが強いこの島でも日が落ちるとそれなりに気温も下がり、あわてて仲間のテントに駆けつける間、冷えたラッシュガードが身に染みました。



いつしか私は、ジャリジャリしないベッドや乾いたタオル、そしてあたたかいお風呂が恋しくて、帰国の日を指折り数えて待つようになりました。



それでも満点の星空やきらきら光る海の美しさは強烈で、それを眺めている間はあらゆる不快感や不便さが脳裏から消えたのも確かです。


テントを取り囲む白くて柔らかい砂の上を素足で歩くとき、夕焼けに染まってヤシの木が色付くとき、スピードを出したボートの上で風が優しく顔を撫でていくとき、私はすべてを忘れて、地球上にこんな場所が存在することがただただ幸せだと思いました。


だけど私はこの美しい島より、車をちょっと走らせれば温泉に着くキャンプ場のテントや、何度でもタオルを交換してくれるリゾート地のビーチに、きっと高評価をつけてしまう。


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透き通った水面。そこに反射して、きらきら輝く太陽の光。無人島生活を終えた私たちをサン・ペドロの町まで運ぶ船の両脇に生まれる白い波。

エメラルドグリーンとコバルトブルーが織りなすグラデーションを見つめながら、なんて贅沢な時間なんだろう、ここはパラダイスだろうかと、私はため息をつきました。


だけど私は、パラダイスでの生活に1週間で音をあげてしまう。


決して住むことのできない美しい世界をせめて目に焼きつけようと、私は遠くなっていく島を何度も何度も振り返りました。


窓をしめれば簡単に風をしめだせるマンションで、Amazonで揃えた額縁にウミガメのポスターをはめこみながら、自動洗浄機能が備わったトイレの壁にそれを貼りながら、何度でもこの島のことを思い出せるように。

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