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私と母とミスiD

ミスiD2021にエントリーした、生瀬希帆です。

今回は、母についてお話ししていこうと思います。

ゆる〜く話すけどちょっと長い。
少しだけお付き合いください。

私は母と共に依存のように生きてきたと言っても過言ではありません。
母はのちにこう言ってました。
「あなたが生まれてきた時、なんでも手にとるように分かった」「あなたは私の分身だと思ってた」
今この言葉を前提として、彼女の行動を振り返ってみるとなるほどな、と思います。

幼稚園〜小学校時代


母は教育熱心で、私は4歳の頃から学習塾、英会話、ピアノ、歌、小学校に上がってからは習字を習っていました。

小学校の時のテストは100点が当たり前。
一度89点を取った日の帰り道、「Aちゃん(同じ地区の女の子)よりバカ」「また同じようなミス。お前のことバカ子って呼ぶから」と言われました。

また、彼女は結構有名な音大の卒業生でもあったため、私にも当然ピアノを習わせました。

週2日、レッスンは1時間。5分筆記、45分課題の進み具合や確認、残り10分は歌の練習でした。課題は、基礎練2曲と練習曲2曲(長い場合は1曲)。
もちろん毎日練習。
元々音楽学校を目指す教室で、母自身も通っており、きっと期待して通わせていたんだと思います。

最初は楽しかった。

けれど、私が成長するごとに少しずつ変わっていきました。

一つでもミスをすると、二階にいようが、料理をしていようが

「ちがぁああああう!!!!」

と怒鳴り、足音を大きく立てながら、母が練習している私のもとに向かってくるのです。

そして後ろから、小さい私に覆いかぶさるように立ち、

「こ!う!で!しょ!」

と力強く鍵盤を叩くように演奏するのです。

はたからみたら当たり前なのかもしれません。ただの教育熱心なお母さん。けれど私にとってはとてつもない恐怖でした。

この時、「私は絶対お母さんに逆らってはいけないのだ」というある意味主従関係が生まれたような気がします。

中学時代


中学に上がると、定期テストというのが始まりました。小学校と違い、順位がつけられる。

最初のテスト結果は60人中7位。

悪くはない。怒られることはないだろう、と思いお母さんに見せると

「なにこの順位。あんなバカの集まりのこの田舎で7位なんてバカの象徴。上に6人もいるのわかってるの?せめて3位以内じゃなきゃ見せないで」

もうこの時点でかなりのショックを受けるなんてことはありませんでした。
思ったことは
「そうか、そうだよね。お母さんの言う通り。」

怒鳴られることで時々パニックになり叫びながらトイレに閉じこもることはあったけど、思うことは一つ。

「お母さんが正しいのかもしれない」

元々、落とし物やうっかりミスが多かった私。
当然、学校に忘れ物やペンをどこに置いたか忘れたことなんかしょっちゅうありました。(今思えばADHD)

すると毎回、「なんで?なんで忘れるの?頭悪いんじゃないの?そんなんだからテストだって低いし、男にうつつをぬかすんだ」と言われました。

「男」と言うのは、小学校時代、子供とはいえ好きな男の子がいましたからラブレターを書いたんです。
しかし結局渡さずに机の奥底にしまっておきました。

母は私の机を開けて、ラブレターを見つけ私の前で読み上げ「ふーん、◯◯くんが好きなんだ〜笑」と言って笑われたことがあり、それ以来、何かミスをすると「男にうつつをぬかすな」「売春婦と一緒」
と言うようになりました。

一度だけ、渡すべき部費を家に2日連続忘れてしまった時は、学校に車で迎えにきて、
「あんた自分がなにしてるかわかってんの?」
と車を走らせ、山道でいきなり車を停めると、
「ここで降りて。もうアンタのこと知らないから。」
と降ろされたことがあります。

私立高校の受験前日は、「あんたを私立に行かせるつもりはない◯◯高(地元の偏差値60位の高校)以上じゃないなら行くな、明日の受験意味ないから」と言われました。

この時、父と離婚の危機でもあったため、色々あったのかなぁとは思います。

この時が正直1番キツかったので、正直よく覚えていません。後半毎日泣き叫んでいたこと、過食嘔吐がやめられなかったこと、自殺未遂をしたことだけは覚えています。

高校時代


無事、母の言う最低ラインの高校に入学することはできました。
(父方の従兄弟たちが全員ここだったので、それ以下だと父の姉に嫌味を言われるかもしれなかったからだとのちに言っていました)

国語や英語や社会科はできたものの、理系が全くできないタイプだったので、成績は下の下。

そもそも、高校自体もギリギリで入れてしまった(例年なら有り得ない定員割れしていた)ので、当たり前なんですが。
当然怒られ、学習塾に入れられたのですが、1対1の授業で先生に体を触られたりするのが気持ち悪くて嫌でした。

成績も下。
部活は上下関係が厳しく、女子だけ全員女子の先輩に怒られる毎日。
家に帰っても母に怒られる。
友達もいたけど、愛情が不足していたのか、彼氏にどっぷり依存。
しかしその彼氏もDV、借金、精神疾患持ち、底辺YouTuberの四段構え。

お母さんの言うことを聞いて、遊ぶ友達もお母さんが選んで、高校に入って友達と遊ぶとなれば、友達の電話番号、どこに住んでいるのか、を聞かれ、門限は18:00。

最終的には学校に来て、1限から5限まで保健室。
何故だかわからないけどもう教室にいて座っていられなかった。
いじめにあってたわけじゃない。けど、常に誰かに笑われる声が聞こえてた。

保健室の先生は全ての事情を知っていたので、学校のカウンセラーに話を通して、話す機会を作ってくれました。

「誰にも言わない。安心して話してね。」信じました。お母さんのこと、辛いこと、全部。

次の週、比較的調子が良かったので部活に向かっていたところ、校舎脇にお母さんの車がありました。

身体中の産毛が逆立ち、血の気が失せました。なんで、なんでいるの。車の中にお母さんが乗っていました。スマホを見ると着信履歴。気づかなかった。

「早く乗れ」

車に乗り込むと、
「恥ずかしい!!!
なんでこんなことで呼び出されなくちゃなんないの?みんな辛いんだよ!!!お前だけじゃねぇから!!?私だって毎日辛いのになんでお前だけ相談なんかして、私が呼び出されなくちゃいけねぇんだよ!ふざけんな!!!」

要約すると、カウンセラーが私の知らない間にお母さんを呼び出し、私のことを話したそうです。

もう2度とカウンセラーを信じたくないし、何よりいつも以上に怒り狂ったお母さんをみて殺されるんじゃないかと思いました。

「ごめんなさい」を繰り返すことしかできません。

母は「お前は怒っても泣いて忘れるだけでまた同じことをする。反省しているポーズをとるだけ」とよく言いました。

違うんだよ、
怖いんだよ、
もう、お母さんの怒った顔、声、
一挙手一投足で次は殺されるんじゃないかと思うんだよ。

たしかに、怒るのをやめると「おわった」という気持ちが大きいから本当なのかも、反省しているポーズをとっているだけかも。

大学受験の時は、滑り止めしか受からず、その滑り止めの1番大きいキャンパスが通える範囲だったけど、合格後、受けた学科が遠方でギリギリ通えないということが発覚し、無理やり家を出ました。

一度家を出ると、「やっぱりおかしいのかな」と気づきました。

しかし、1年ほど前、当時同棲していた彼氏と別れたタイミングでおばあちゃんの介護が必要となり、「手伝ってほしい」と言われ、なし崩し的に戻ってきてしまいました。

最後と今


お母さんが私を育ててきた背景に、おばあちゃんから陰湿な意地悪を受けていたり、おじいちゃんから性的ないやがらせをされていたり、お父さんからの束縛、家庭内の仕事を全くしなかった(父はポットでお湯を沸かすこと、電子レンジを使うこと以外全く家事ができません)こと、暴力があったから私に全てのストレスが向いていたのかもしれません。

余談ですが、父は許せても、私がこんなに辛い目に遭ったのは祖父のせいだったのだ、と怒り狂った時期がありまして。殺してやると何度も思いました。

ですが、私は未だに家にいると階段を上る音、母と2人きりの部屋、車、基本的に密室には無駄に緊張してしまうし、誰かが怒ること、不快にさせることに過剰反応して、パニックになって泣いてなにもできなくなる。悲しいと思うことも辛いと思うことも、本当に思っていいのかな、被害妄想なのかな、って書いてる今も思ってます。

思い出せないことも沢山あって、ここまで辛くなるまでに絶対いろいろあったはずなのに思い出せなくて、本当はなにもなかったんじゃないか。

やっぱり、楽しいと思える時もあったし、許したくなってしまう。私の考えすぎ、許すことが子供の役目なんじゃないか、このまま何も波風立てずに生きていく。それが一番。

ミスiDにエントリーして仲良くなった女の子に、初めて洗いざらい親のことを話しました。
「それは違うよ、もう今すぐ出よう。このままだと大学卒業したって出してもらえない。」
彼女はそう言ってくれました。

ぼんやりと親から離れなきゃなぁ、自分から動かないと脱出できないんじゃないかと思っていた私でしたが、他者からみてやっぱりそうなのかと思え、決断できました。

今は彼女に手伝ってもらいながら、家を出る準備をしています。

私はこんな友達ができたこと、自分から決断できるようになったこと、ミスiDにエントリーしただけで私の周りが動き出しました。

自分で何かを決めるとこうも、色々変わり始めるんですね。

これから何があって何を掴むか分かりませんが、私は今の自分よりもっと好きになれるようになりたいです。

ありきたりな締め方ですが、一旦ここで終わります。