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学生時代パート2

当時私の通っていた学校は今に規則厳しめのマンモス校の学校でした。それも理不尽な校則に縛られ、そんな学校での出来事です。

当時、両親は夫婦内で危機を迎えていて中学生だった私には毎日が左右わからない日々、そんな状況の中での学生ではの勉強という役割。ですがそんな左右もわからなく、自分がどうするべきなのか、日に日に募る不安と共に勉強への向上心も経ちまち低下、そしてそんなある日小学校無断欠席並みの欠席数を誇ってた私が休みを決意します、それは自分の精神不安定具合で周りに合わせる顔がなかったからです。そのクラスでは1学期に対人関係での危機、悩み、破壊といったこともあり、今こんな状況でクラス行ってもあれから時間をかけて関係を和ませたことが水の泡になる。そう感じました。そして初めて不登校への入り口に差し掛かりました。自分自身コントロール難関なのと、精神の不安定さ、本当に持たなかったです。優れない体調と、当時夢中でもあった合気道を押し曲げてまで、ですが気分の良いときには習い事には向かっていました。が、周りからは『あれ?なんで学校はきてないのになんで元気そうじゃん。どうしたの』みたいな視線だとかそういうのを無意識に感じ取っちゃうんですね。言われてなかったとしても。『不安で』まあそんなある日、月日は流れ関係は最悪を迎え、母親と2人で引っ越しそんな時期から新学期がスタートします。【え】不安の募る新学期。そしてクラス替え、だがしかしそのクラス替えそのものが最悪だったんです。はじまる授業、落ちこぼれる自分、指される回答、答えられず恥。そんな日々を過ごしていると周りからのカースト制、そこへとも響くんです。【現状】落ちこぼれていく成績と共に、落ちてゆくカースト、この先検討のつかない家族関係、日に日に見えてゆくブラック校則、そんな視界を黒に染めるようなそんな日々がここから始まります。日々の不安、やつれてゆく精神。そんなこともありあるときからまた登校をシャットアウトし始めます。が、『もう別れたでしょ、なら大丈夫でしょ?』『なにが不満なの?』『どれくらいの覚悟決めたとおもってるの?』言えるわけない。いうとしてどう?なんて伝える?そしてどんどん自分を中傷してゆきます。自我を抑え、自分らしさというものの薄れゆき、周りの流れの見えなささ、対人関係での悩み、それに過ぎないことはない。そうおもっていたけれど、見えぬところで動く教師の視線。連想されてゆく偏見。日に日に薄れてゆく信頼どんどん低下される登校。そんな日々を過ごしていき、いつしかする進級。対人関係は良かったけど、教師からの圧倒的偏見批判、低下する信頼成績、気づけばもうそこに受験生の肩書。そんなこと考えてられない受験勉強、それによっても進まない教師からへの言葉的批判的暴力、1年の期間で気持ち的リフレッシュ強化させた鉄メンタル、それも教師によって崩されてゆく中傷、チリに積もっての大打撃。時期は流れ夏になる。流石に精神の限界。またもや立ち止まる学校行きの足。受験も残りわずか。そこで止まるかこの足先。伝わらない思い、悩み、わかってくれよ自然現象の表し。そんな理解などなく、どんどん批判されていく髪、今にかける縮毛矯正、、しかしなにも変わらず悪化した。それには流石の限界、もう学校がシャットアウト、精神の限界、顔も合わせれない。そんなときに教育委員会へとつながる方とお会いした。すべて話した伝わった。教師の口からの謝るという言葉、けれどもう会えなかった精神。返した返事は『大丈夫です』もう会いたくなかった。会えなかった。顔を見たら全てを思い出し、また不利な嵐に巻き込まれる、そんなの嫌だ変わるんだ。ある日のことTwitterがうごきたした。それはフォローしてたKEMIO、インフルエンサー、著名人の方のツイート。#この髪どうしてダメですか。 #ブラック校則  なにかが動き出した。変わっていった。嬉しかった。自分自身辛い思いした今あったんだって。だからこそこれは1つの事実であって、それを踏まえてこその伝えられることがあるはずだ。そうおもった。だから、個性の大事さ、自分らしさ、貫くこと。を伝えてゆきたい。


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