【エッセイ18】年を重ねたら、できることとできないことに気づいた

年をとるって悪いことばかりじゃないな、と30歳を目前にして思っている。

そりゃあ、28ぐらいで体の衰えは若干感じ始めたよ、うん。
時間が経つのも早いし。いや、私は大学一年生ですでに「気づいたら死ぬ直前のベッドの上だったらどうしよう」とゼミで発言し、三周り年上の教授に「それはない」と笑われるような人間だったので、今に始まったことではないけれど。

年を重ねたからこそ分かったことがある。
それは、自分ができることとできないこと。

子どもの頃は、好きな事だけしていればいい訳じゃなくて、苦手なこと(数学とか)も何でもやらされたけれど、大人になると苦手なことは結構排除しても生きていけている。

でもね。子どもの頃、色んなことをするのは悪いことじゃないと思うんだよね。むしろ、大事なこと。
だって、まだ何ができるかできないか、何が得意で何が苦手なのか見極められていないから。

色んな可能性を模索して、自分で得意なものを選び取っていくのが年を重ねるってことなのではないかなぁと最近は思うわけです。

社会人になったばかりの頃は、仕事のことなんて何も分からずに突然高度なことをやることになって、しかも自分は仕事上の何が得意なのかが分からず、自分に自信をなくしていた。

法律に関係するコールセンターオペレーターをやっていたのだけれど、話すことが苦手な私にとって、これ以上ないくらいに苦手分野の仕事だった
(会話じゃなくて文章で回答させてくれるなら、張り切ってやるのに)。

しかも機械のシステムなんかも関わってきていて、理系学部出身でも法学部出身でもない私には、全くマッチする要素が見当たらなかった。
配属が決まったとき、絶対に人事の配属ミスだと思った。
今はこう思う。
やっぱり人事の配属ミスだった。

でもその頃は、まだ自分が得意な仕事があるなんて知らないもんだから、「自分は仕事ができない人間なんだ」って思っていた。

合ってないだけだったのに。

今は、司書として大学図書館で働いていて、給料は会社員の頃より格段に下がったけれど、幸運なことに自分の能力に合うところで毎日充実した日々を送っている。

自分が仕事ができないわけじゃないって、他のところに移って初めて気づいた。別の仕事を始めたら、仕事の段取りとか効率を考えて動くこともできたし、自分の得意なことも発見できた。

私は繰り返す作業がどうやら得意らしい。
司書になる前に少しだけ別の仕事もしていて、ひたすら三折りしたり、印を押したり、裁断、製本など紙に関わる様々な業務を行っていた。

なので私、特技三折りって履歴書に書けるぐらい(嘘、書いたことはない)。
でも大量にやる時しか使えない能力なの。一枚だと能力を発揮できない。
なにしろ同じところで折るというのを繰り返して癖づけて、どんどん折るスピードが加速するっていう能力だから(なにそれ)。
印を押す時も同じ。いかに素早く同じ場所にきれいに押すかということを、極めた。

他にも、対面でお客さんと会話したりとか、繰り返しの中で効率を見つけて動くことの楽しみを知った。
こういうのが得意なんだって初めて気づいた。

「とりあえず3年」って言葉があるけれど、自分に合っていないと気づけて異動もかなわないなら、すぐに転職を考えてもいいと思うのです。
時間がもったいないから。
私は結局、やめさせてもらえなかったり何やかやで、4年ぐらい会社にいてしまったけれど、早めに見切って次にいっても良かったな、と今なら思える。

当時はそんなことを思いつけないぐらい、余裕がなかった。
とはいえ、別に後悔はしていない。メンタル激弱のくせに、そういうところポジティブ(基準が謎)。

今はやっと自分ができることとできないことが分かってきて(若干気づくのが遅い)、要領よく過ごせるようになってきた。

二十代も後半になり余裕が出てきたことで、本当に自分がやりたいことも見えてきた。

私は文章を書くのが好きだ。
表現することが好きだ。
物語を紡ぐことが好きだ。
文章で誰かに笑ってもらいたい。
自分にしかできないことを仕事にしたい。

だから、私は今日も文章を書き続けている。

ね、年を重ねるって悪くないでしょ(体の衰えと時間経過には怯えてるけど)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?