アウトサイド ヒーロー:3
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ユージュアル アフェアズ オブ ア ユージュアル タウン
鳥のつがいがさえずり合う声を聞きながら、レンジはふかふかの布団の中で目を覚ました。
質素な木製の家具が並ぶ室内には、大きな窓から陽が射し込んでいる。壁には木の板が打ち付けられ、そこから突き出したフックにライダースーツの上半身部分が掛けられていた。
体を起こすと全身に重だるさを感じる。布団を剥がして立ち上がり、よたつきながら上着に近づいた。内ポケットの中にあるジッパーを下ろして指を突っ込むと、金属質の手触りを確かめた。
取り出したのは、紐で結んだ銀色のペアリング。くすんだ小さな指輪と、未だ艶の残る大きな指輪。レンジは掌の上に置いてしばらく指輪を見た後、握りしめるようにしながら内ポケットに戻した。
懐かしい夢だった。知らないはずの景色までありありと思い浮かべられるのは、少女がその夜の出来事をあまりにいきいきと話していたからだろうか。レンジは少しの間目を閉じてから、ジャケットを取って袖を通した。
ノックの音が響く。
「はい、どうぞ」
窓の反対側にあった扉が開き、橙色の斑模様が入った青肌の少女が顔を出した。背丈はレンジと同じくらいだが、童顔のためか身長ほどの圧迫感はない。他の部位よりも倍近く大きい両手に、掃除機やら雑巾の入ったバケツやらを持っていた。彼女は昨夜、酒場で働いていた女性店員だった。
「アオさん、でしたっけ? おはようございます」
「はい、おはようございますレンジさん。昨日はお疲れ様でした」
長い髪の間から笑顔がこぼれる。
「ありがとう」
「お礼を言うのは、私たちの方です。あんなに大きなオニクマを退治してもらって……雷電がいなかったら、町がどうなっていたかわかりません」
真っ直ぐに感謝の心を伝えられて、レンジは答えに困った。雷電に変身していたら、気の利いた台詞の一つでも言わせてくれたのかもしれないと思ったが、それはそれで恥ずかしいことになりそうだ。
「食事の用意ができているので、下に降りて食べに来てくださいね」
アオがそう言って扉の向こうに引っ込むと、レンジも両肩と首をぐるりと回してから部屋を出た。
階段を降りると、一階は酒場“白峰酒造”のバックヤードに繋がっていた。大きな扉を開けると、酒場のホールに出る。客の姿はなく、タチバナが一人、テーブル席に腰かけてコーヒー片手に“カガミハラ・ウィークリー”という名前の新聞に目を通していた。
「おはようございます」
レンジが声をかけるとタチバナも顔を上げる。
「おはよう。昨日はお疲れさん。よく寝てたが、体調はどうだ」
「身体中が重くて、しんどいですね」
「あれだけ動き回ったんだからな、筋肉痛だろう。まあ、じきに治るさ。厨房に行ってメシをもらってきたらどうだ?」
レンジとタチバナが話していると、アオがいそいそとお膳を手にやって来た。
「レンジさん、準備できてますよ。さあどうぞ」
料理をタチバナの向かいの席に並べて、にこにこしている。
レンジは長身の少女に見守られながら腰かけた。大小の椀が蓋を被って盆の上に並んでいる。隣には緑茶と、青い瓜の漬物が添えられていた。
「いただきます」
蓋を取ると、味噌汁と白飯が湯気をあげた。濃い色の味噌汁には根菜や茸、そして大量の肉が、一口大と言うには大ぶりに切り分けられて詰め込まれていた。見た目は味噌煮に近い。山菜か野草で獣肉の臭い消しをしているのだろう、青い薫りが、素朴な豆味噌の香りと混ざりあって広がった。
「アオの手料理だぞ」
タチバナがニヤニヤしながら言うと、アオは恥ずかしそうに頬を染めた。
「せっかくの素材を、ジェネレータに入れるのがもったいなくて」
「わあ」
レンジは恐る恐る、箸で肉塊を引き上げる。
「この肉は何ですか?」
「レンジさんが昨夜退治したオニクマです」
同じ材料でもミールジェネレータに放り込まれて謎肉や卵らしきものに加工され、ベーコンエッグ擬きになって出されるのと、どちらがマシだろうか。
「せっかくの初手柄なので、レンジさんには一番美味しい、右掌を取り分けて用意していたんです」
アオが胸を張る。
「わあ……」
ままよ、とばかり口に入れると、野趣のある香りを鼻の奥で感じた。しかしそれも一瞬で、すぐにきりりとした苦味が舌に抜け、爽やかな野草の薫りが広がった。脂身と茸の旨味、根菜の甘味が溶け出した汁が染みたオニクマの肉は蕩けるように柔らかく、滋味深かった。
なにも言わずむさぼり食べるレンジを見て、アオは満足そうに微笑んだ。
「ご馳走様でした」
料理を完食し、湯飲みも空にしてレンジは手を合わせた。タチバナも新聞を置く。
「さてレンジ、お前さんには今日からうちで働いてもらいたいんだが」
「えっ、そうなんですか」
何の伝手もなく流れ着いた身としては願ってもない話だ。よっぽどの事がなければ。
「勤務内容を、教えてもらえますか」
アオが盆を取り上げ、タチバナのコーヒーカップも一緒に載せて片付けていく。タチバナはアオに「すまんな」と言って軽く手をあげてから、警戒するレンジに答えた。
「そうさな、うちは酒場をしながら、町のまとめ役みたいなことをしてるから、まず酒場の仕事がある。接客はしなくていいんだが、こまごまと仕事があってな。片付けとか山に食材やらを採りにいったりとか、まあ言わば雑用だな」
「なるほど」
まとめ役、というのは事実だろうと、昨夜の店内を思いだしながらレンジは考えた。
「それと、ヒーロー活動だな」
「ヒーロー」
二つ返事で引き受けようとしたレンジが固まる。
「地域の子どもたちに雷電のヒーローショーを見せるんだ。この前みたいにモンスターが出たら、雷電として闘ってもらう」
「それも撮るんですよね?」
「もちろん、ドローンでばっちり撮る。リアルな闘いは、迫力があるな。昨日のを編集してみたが、これはいい。カガミハラに持っていっても受けるんじゃないか」
「ありがたいお話ですが、お断りさせていただきます」
レンジが立ち上がりかけると、タチバナは細長い紙切れをテーブルに置いた。
「何です、請求書?」
手に取って見ると目玉が飛び出るほどの金額が書き込まれている。桁を3つほど間違えたのではないか、と思うほどだ。
「お前さんに貸した雷電の変身ベルト、“ライトニングドライバー”っていうんだがな、ほぼ無傷で発掘された旧文明最終期の遺物なんだが」
非常に貴重なものだということは、嫌というほどわかる。タチバナは勿体ぶった調子で続けた。
「使ったやつを登録して、他の人間には使えないようにしちまうんだと。だから、買い取ってもらうことになるんだが、どうしてもこれだけかかっちゃうんだよなあ……このままヒーローを続けてくれりゃあなあ、ベルトを貸すだけで済むんだけどなあ」
「慎んでお受けいたします」
レンジが降参して頭を下げると、タチバナはニッタリと笑って、ライトニングドライバーをレンジの前に置いた。
「契約成立だな、これからよろしく頼むぞヒーロー」
レンジが渋い顔でドライバーを受けとると、飲み物を手にしたアオが嬉しそうにテーブルに近づいてきた。
「レンジさん、これからよろしくお願いします。雷電と一緒に働けるなんて、夢みたい!」
そう言って山葡萄のジュースを差し出す。レンジは「ありがとう」と言って受け取った。心地よい酸味が口の中に広がる。
「マスターには、これを」
「おう」
タチバナは受け取ったカップを傾け、中身をぐびりと飲むと目を白黒させた。
「これは何だ」
「マスターにも、オニクマの一番いいところを取っておきました。熊の胆ドリンクです。残さず召し上がれ」
「残さずったって、お前さんこれは」
アオは笑顔を崩さず、微動だにせずタチバナを見下ろしている。
「慎んでいただきます」
先程のレンジと同じ位に渋い顔で、タチバナはコップの中の液体を飲み干した。(続)
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