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一歩先に強くすすめ!

たまたま読んでいたnoteがすごく今の自分に必要な内容で、今自分がどういう風に困っているのか・停滞しているのかがとても分かり易かった。

今よりもっとより良い場所を目指して元の居場所を旅立ったけど、漠然と「なんだこの不安は…」「なんだかどうしようもない気持ちでいっぱいだ…」という日々が続いていた。

そして私は望んでいる「ゴール」に過程もなしにひとっ飛びをする理想をよくかかげてしまうらしく、自分の頑張りが「ゴール」に程遠いと感じた時はげしく落ち込み、絶望する。

つい最近までは「やりたいと思っていたこと」なんかなかったことにして、普通に…いままで通り暮らしていった方が精神が随分楽なのでは?とばかり思うようになっていた。描きたい漫画を描こうとしても気分が悪くなるし、プロットを書こうとしても、今までのボツの山の怨念が呪いのように自分を縛ってくるのがどうしてもつらい。

こんなに辛いんだったらいっそ消費するだけの生活…映画を観て、美術館に行って、流行りのカフェに行って、たまに旅行とか行っちゃって…アイドルのライブに熱狂して、そのためにお金を稼ぐっていう生き方の方が楽しいしつらくないんじゃないかなとずっと考えていた。確かに自分で選んできた道なのに、思考停止して現実逃避していたのであった。

自分の理想がひとつ叶えられたら、「じゃあ次はもっとこうしたい」「自分はこうなっていきたい」と無限に理想の探求が始まる。だけどその探求にはたくさんのエネルギーと今まで対処したことない問題や高い壁にぶちあたることが必ず伴う。しかもどのタイミングなのかなんて誰も教えてくれない。だから、未来が怖くなるし、理想を考えることを止めてしまうんじゃないか。とこのnoteには書いてあった。

まさにじぶんがそうだったので、今の停滞ぶりと思考停止ぶりにすごくすんなり納得した。

このnoteにはそんな思考停止や不安をどう受け止めるか、どう一歩踏み出していくかのヒントも載っていた。

今の現状はもっとよくなるのではないか?という「問い」は

●今の日常を改め、よりよい日常に至る大きなきっかけになりうる。だけどいざ環境が変わって新しい日常を1から作っていくとなった際に、十分なケアと安心感がないとこの大きなきっかけは日常をブチ壊す恐ろしい存在になってしまう。

そもそも理想というのはつきつめれば無限だし、思考停止しない限りずっと永遠に届かない場所でもある。そんな理想を追い求める自分たちの安心できる居場所は、「ある特定の場所」ではなく「理想を追い求める自分が歩く旅の道中そのもの」だと定義してあったのが妙に腑に落ちた。

この旅の道中をここちよく過ごすためには、快適に生きるためには目指すゴールの設定ではなく旅のプロセスを快適にすることが自分たちが介入できること、らしい。(誤解釈していたらすみません。)

だから、壊した日常だって再構築できる、という安心感。

変化の過程をサポートしてくれる人を傍に

とかをもっていることがいいみたい。

たぶん壊した日常だって再構築できる…というのは自己肯定感とか、コーチング的な要素が必要で。自己肯定感が全くなかったので、そういう「自分で自分を辛くする」ような思考とか行動・言動はひとまずやらないようにしたい…。

変化の過程をサポートしてくれる人…は、見つかるといいなっていう感じかもしれない。(笑)

ひとまず不安が因数分解されて分かり易く答えがみつかったことに安心した1日でした。

ありがとうございました。




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