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お願い、私を見て

お願いです。私が今までどんな奴で、これからどう変わっていくのかを見ていてほしいのです。

私は東京在住の26歳女、会社員歴たった1年なのに12月で会社をやめて、実家のある福岡に帰ります。どうしても、私の命の恩犬の最期に一緒にいたいからです。

小さい頃は勉強も運動もできて、褒められるのが当たり前だと思っていた子でした。
明るくて天真爛漫、怖いものなんて何もない女の子。そんな私でいられたのは、小学3年生まででした。

父が、鬱になりました。私は父が大好きでした。日に日に元気のなくなっていくその姿から、「何かが変わってしまったんだ」と9歳の私にもわかりました。
“おとうさん、がんばれ”
お祭りのピロピロ笛にそう書いて、父の前で吹きました。苦しそうに顔を歪めながら私を抱きしめた父のことを、今でも鮮明に覚えています。

母は、明るく元気に、献身的に父を看病していました。辛かった思います。鬱病の発症当時、私は9才で弟は5才。まだまだ手のかかる子供を2人抱えて病気の夫を看病するなんて、並大抵の努力ではできません。
最初は明るかった母も、だんだんと輝きを失っていきました。

私がよく覚えているのは、この頃からです。
私のnoteを見てくださっている方は、もうご存知かもしれません。
両親の叫び声、怒鳴り合いに食器の割れる音。
耳を塞ぎながら眠る日々。毎日毎日、恨みながら過ごしました。

「どうして私はこんなに不幸なの?」「どうして私の親は狂ってるの?」答えの出ない自問自答を繰り返しながら、私は腐っていきました。

卑屈で自尊心の低いジメジメした性格から、友達も離れていきました。誰からも相手にしてもらえない、必要としてもらえない、存在を認めてもらえない。その事実と向き合えなくて、私は事実をねじ曲げました。
「私が勉強も運動もできて優秀だから、みんな僻んでるんだ。だからこんな奴らと付き合う必要なんてない。」

その後、中学受験で私立にいくつか合格したのに近所の中学校に進学しました。全く知らない人の中に飛び込む勇気がなかったのです。

中学校でもさして変わらず、冴えない陰気な女の子でした。そんな私が、大好きだと思える友達に出会います。通っていた塾に転入してきた彼女は、とても優しい子でした。誰にでも分け隔てなく、決して悪口を言わない柔らかい彼女に、私は心から癒されました。

「この子と同じ高校に行く」
それだけが、中学時代の私の心の支えになりました。彼女の志望校は、県内随一の進学校。
でも朝から夜まで塾に缶詰めになったって、徹夜で勉強する合宿だって、なんだって平気。彼女と同じ高校にいけるなら、どんなことも乗り越えられました。

合格発表当日。私は掲示板の前でワクワクしていました。
「これからだ、これから新しい生活が始まるんだ!今までの我慢が全部報われて、嘘みたいに幸せな毎日を過ごすんだ!」

合格者の数字が張り出されます。自分の数字はすぐ見つけました。周りのみんなが飛び上がって喜ぶ中、私は彼女の番号を探しました。

ない。

頭が真っ白になりました。
3年間思い描いた夢が、あっけなく散りました。

お願い、私を見て 2」に続きます

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