改めて実感する難しさ
グローバル。国際的な社会。
そうなっただけでなく、ネットの普及やYoutubeなどでの発信、文化や伝統を伝えることでお互いを知る事。
いい時代になった。
はずだったのに・・・。
触れられる範囲で触れてみても、やっぱり心が痛いですね。
自然と涙が出てしまいます。
どうしてもこう、国として。
制裁が発動されても、困ってしまうのは、ほぼほぼ無関係かつ普通の生活をしてた一般国民へのしわ寄せも強くなってしまうというか。
かと言って、国際的な協力という部分では、何もしないわけにはいかないし、もしもを考えると、イチイチ篩い分けするより、一括の方が手っ取り早い。
ホントこう、感染症のときもそうだったけど、どうしてこうなった?
うん。
まぁ、個人感情抜きで見ると、というか。
国民とか、個人というものを除いて歴史という形でみると、おおよそ流れを組んでるのは、なんとなくですが、感じてました。
でも、やっぱりこう、ね。
国っていう括りになると、政府がありますし、政府が何かをするにしても、必ずしも全国民が完全に一致でもないのが当たり前。
個人としても過去に留学生や仕事で来てる方と、よく接してた時期がありますが、外国どころか、出身すら関係なく、個人同士という感じで接してたので、あまりそういう所には拘らなくて。
でも、その人が母国のいい所を伝える時には、素直に感動も出来てて。
まぁ、こう、色々言葉が出てくるので長くなりそうなのは、注意しつつ。
やっぱりこう、心が痛いですよ。うん。
個人として、うつ病だ、不安障害だと、症状で決めつけないで、個人にフォーカスをという事を述べてたりしますが、こういう国という部分でも、ね。
やっぱりこう、確かに国、出身地があるとはいえ。
個人は個人なんですよね。
でも、日本人同士でもそうあるように、もしもがあったら、抜け穴が出来てしまう可能性もあって。グレーゾーンを考えると・・・・。
まぁ、大して関係がある人でもなく。
ただただ、動画で発信してる人の話に触れただけですが。
受け取ってしまうものがあるし、それで涙でそうになるし。
何が何やら、わからなくなる、という事もあります。
自分が巻き込まれなくても。
こういう、心が引き裂かれる、というような状態になるのは辛いもんですね。
当事者ではないものの、国がある以上、色々言われてる人はもっと辛いかも知れません。
ただ、日頃からよくある。
無駄に正しいだ間違いだを騒ぐような、正義中毒みたいなのは、出ないで欲しいなぁ、とは思います。
ほんとこう、カテゴリや枠では人は決まらないし、ネットという相手が見えない形で接してしまう部分では、慎重に、慎重に。
なんかこう、うまくまとまらないですが。
色々なことが良い方に、早く解決する方に向かうのを祈るしかないですね。
それでは。
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