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コネコとシイナさん、熱海のうろんな温泉にゆく【第4話】 #コネコビト

大きなうろろん

花火の匂いと海の匂い、温泉のふわんとした湯気の匂い。ボイラーの石油みたいな懐かしい匂い。いろんな匂いに包まれて、コネコとシイナさんは細い坂道を登ります。
「お宿に大きなうろろんいるかにゃ。こわいにゃ」
シイナさんも東海道線の中で不気味な夢を見たので、なんだか不安です。  
いろいろ熱海の美味しいものを食べたのでお腹が重いのと、坂がけっこう急なのと、それに何より噂に聞いた大きな、お化けみたいな、うろろんのこと。
うろんを吸い続けて巨大になったうろろん、どんなものなんでしょう。
「うろんだけじゃなくて、ニンゲン丸かじりするかもしれないにゃー」  
果たして、旅館山猫軒に至る角を曲がり路地を進むと、生垣の奥がぼんやりと光っているのです。
煌々と、というほどではないけれど、たしかに「何か」が、まるで呼吸するようにゆっくりと明滅しています。
「にゃ…」
きい。木戸の鍵がかかっていなかったので、そっと押して裏庭に入ります。  
宿の敷地は斜面になっており、離れや物置が点在して通路や小道や空中階段で繋がっています。
裏側から見上げると迷路みたいです。光の漏れ出る建物は、大浴場の少し下手に位置するようです。庭に面した障子の奥で大きななにかが薄緑色に発光しています。障子はするる、と横に開きました。  
障子を開けた中は何十畳ほどもありそうな広い座敷で、いわゆる宴会場だったのでしょう。
その中心に、見たこともない大きな大きなうろろんが、ちょこん、と座って光っています。
「うろろん?」
大きなうろろん、別に怖くないな、とシイナさんは思いました。
うろろんだから当然でしょうか。  
シイナさんは和室の奥に進み、うろろんにそっと触ってみます。
「噛まないにゃ?」
『かまない』
なんと、うろろんが喋るのです。「しゃ、喋ったにゃー!」
大きなうろろんは立ち上がるとシイナさんよりも大きく、頭が天井につきそうなくらい。少し屈むと、しゅ、と軽くうろんを吸いました。  
『ニンゲンからでるうろん、おいし』
シイナさんのうろんを吸って、うろろんの光が一瞬強まりました。吸われると、少し体が軽くなる感じがします。
『ふだんはね、おゆにとけたうろん、すってる』
「お湯に溶けた方が美味しいにゃ?」
コネコもおずおずと、大きなうろろんに近づいてきました。
『あじは、おなじ』  

『あじはおなじだけど、おゆのせいぶんからだによいんだよ』
うろろんにも温泉の成分は有効なようです。
『おゆとをうろんをいっしょにのむと、ぶんれつしない、おおきなうろろんになれる』
「そういうことなのにゃー」
『うろろんがおゆのうろんをすうから、おゆはいつもきれい』
「うーむ」 

ニンゲンがお湯に浸かって溶け出したうろんを、うろろんが吸って、そうするとお湯からうろんが除去されるのでお湯にはまたうろんが溶け出すようになる、のでしょうか。
「循環式浴槽なのにゃ」
じゃのめのゆうめいじん、みたいな。

「ほかには大きなうろろん、いないのにゃ?」
『いないの』 
『すこしおおきくなったら、またほかにいくようにしてる。おおきくなりすぎると、ほかにいけなくなっちゃうから』

『おおきなうろろん、ひとつでじゅうぶん』
シイナさんが手のひらでうろろんに触れると、少しひんやりしています。まるで海から吹いてくる、熱海の夜の風みたいです。  
うろろんに触れた時、緑の濃い山奥の景色が見えました。
きっとこれは、日本中のうろんが集まると言う終点・山猫峠…  

『むかしはやまのひとのうろんをすってたの。うろんにきくおゆがでたから、やまのひとについてうみにきたの。やまのひとはおゆのおかげでうろんではなくなって、そのままうみではたらいたの。おやどもできたの。うろろんは、そのときからずっとここにいる。おおきくなりつづけてる。』  

「他のところには、もう行かないのにゃ?」
『おゆからはなれたら、ぶんれつしてちいさくなっちゃう。ぶんれつしたら、おおきなうろろんじゃなくなっちゃう』
「大きなままがいいにゃ?」
『よく、わからない』
緑の山に包まれていた視界がどんどん明るくなって、薄黄緑色になります。  
コネコとシイナさんはあまりの眩しさに目を瞑ってしまい、どういうわけか気がつくと布団の敷かれた部屋に戻ってきていました。
「謎にゃ」
「と、とりあえずほうじ茶飲もう」
熱いほうじ茶を注ごうとすると手が震えるものの、一口飲むとようやく人心地がついてきました。
「大きかったにゃ」  
「大きかったねえ」
ひとりだけあんなに大きくて、ひとりだけずっとここにいて、理由があってのことなのでしょうか。シイナさんは少し気になりましたが、もちろん考えても分かりません。
「…コンビニでビール買ってこようかな」
「コネコ、アイスがいいにゃ」
「さっきもバーで食べたのに」  
「こんな日には三回目のアイスが必要なのにゃ。美味しいものたべて安らかな気持ちになって寝るにゃ」
「そうだね」
宿の玄関に並んでいる下駄を突っかけて、あてどなくコンビニを探します。
アーケード商店街を抜けて駅の方から下ってくるうろろんと、途中ですれ違いました。
「うーろろん」  

おもに日々の角ハイボール(濃い目)代の足しになります