はじめまして。羊毛の糸紡ぎと織りをしています
はじめまして。
「nakobo」(なこぼ)という名前で活動しています。
登坂尚子(とさかなおこ)と申します。
糸紡ぎや織り、小物など「羊毛からのものづくり」をしています。
**【 ざっくりとしたプロフィール】 **
1994年から織りをはじめ、草木染め、羊毛の糸紡ぎ、木綿の糸紡ぎ、
種から木綿の栽培、畑仕事などなど、
次第に素材の原点へと興味が深まり、実践してきました。
現在は、刈り取ったままの羊毛を購入し、洗い、染め、紡ぎ、
織り、仕上げてマフラーやショールなどを制作しています。
織り歴約21年、糸紡ぎ歴約16年。
日常を丁寧に過ごすことを大切に暮らしています。
好きなことはDIY、細かな手作業、工夫すること、
マクロ写真を撮ること、寝ること。
【 なんだか長文になったプロフィール 】
私自身のこと
1969年東京生まれ。牡羊座。誕生数33。多摩市の団地育ち。両親とも手先が器用で、モノが壊れたら直す、工夫する、が当たり前の家に育つ。
中学に入ると同時に茨城県つくば市に転居。大学は工学部電子工学科に進んだものの、進路を決めるときに何がやりたいのか分からなくなった。ピアノの調律師に興味を持っていたことを思い出し、ピアノメーカーに問い合わせたらあれよあれよとその道へ(短期間にたくさん悩みましたが)。
調律の仕事は技術的には面白かったけれど、体力が持たず(帯状疱疹にもなったしね)、2年弱で結婚を言い訳に退職する。
1993年に結婚後、神奈川県川崎市宮前区に9年在住。再び調律の仕事をしたり(しかし2年半でやめる)、蕎麦屋でバイトをしたり(これは5年続いた。まかないを好きに食べられたのが幸せだった)。その後横浜市緑区に7年在住。畑仕事などに勤しむ。
2010年に茨城県つくば市にUターン。広々とした景色の家で、料理好きのダンナさんと二人暮らしを継続中。
手しごとのこと
1994年から織りの教室に通い始める。織りへの興味のはじまりは高校生のころ。近くのデパートに織り機があって(確か結城紬の展示販売)、織りの体験することができた。体験したかったけれど、恥ずかしくて通り過ぎたことをよく覚えている。その後はすっかり忘れていたけれど、たまたま買った雑誌に教室が載っていて、やりたい!と通いはじめた。
そのお教室での糸代(と受講料)は、当時の私にはなかなか高かった。染色された糸よりも生成りの糸はずいぶんと安いことに目をつけ、草木で染めはじめた。その後、羊の毛も売っているということを知り、「さらに安いじゃん!」という動機で糸紡ぎをはじめる。
当時は今のようにネットでなんでも手に入る環境ではなかったけれど、それでもなんとか見つけて、スピンドル(上の写真の、糸紡ぎの簡単な道具。これは最近紡いだもの)と羊毛を取り寄せた。ぜんぜんできなくて、つながらないし、つながってもぼっこぼこ。加減なんてわからない。暑い夏の日で、羊毛を持っているだけでも暑かった。それでも面白くて、夢中になっていた。
そんな頃に、当時の家から近かった二子玉川の高島屋で手仕事展があり、京都でたくさんの羊毛と紡ぎの道具を扱っている「スピンハウスポンタ」さんが出店する、という新聞広告が入った。もうその日が待ち遠しくて、初日におじゃました。そこで「スピナッツ」という季刊誌に出会う。こんなひとたちがいるのか。こんなことができるのか。そのときの私にとって、その本は情報のかたまりだった。既刊を何冊か買って、もう隅から隅まで読んだ。
最新号に、「小さな紡ぎ車で綿を紡ぐワークショプ」の案内が出ていた。小さい紡ぎ車があるなら、場所も取らないし欲しいなぁ、と参加したワークショップの主催者が、鴨川和棉農園の(故)田畑さん。木綿の栽培もされているということで、千葉県鴨川市でのワークショップにも足を伸ばし参加していたら、ワークショップでお手伝いをするようになっていた。なんだかんだと4年くらいお手伝いしていたと思う。参加者さんも濃い方ばかりで、いろんなご縁もできて、面白い体験だった。
これがその「小さな紡ぎ車」の「チャルカ」。インドのガンジーさんが紡いでいた道具とほぼ同じ。折りたたんで持ち運びもカンタン。
田畑さんに棉の栽培方法を教わり、私も川崎市の市民農園を借りて栽培をはじめた。2年契約のその畑を返すころに、畑をもっとやりたくなって横浜市緑区に転居。目星をつけていた市民農園は借りられたものの、「みんなで同じものを栽培しましょう」な土地だったため、他の場所を貸してもらえないか地主さんに直接交渉。なんと30坪ほどの土地を貸してくださった。
1年間その場所にマメに通ったら、翌年はその隣の80坪!を使えることになり、その翌年からは最初の年に借りた場所も両方(なので110坪)。肥料をまいて、種まきをして、草をとりながら間引きをして、ネキリムシを退治して、土寄せしながら草を取って、伸びてきたら摘心をして...。種まきはゴールデンウィーク頃。収穫は9月〜11月。3日と空けず、通っていたと思う。近くの畑のおじさんに「いつもいるねぇ!」と言われたけれど、そんなつもりもなかったけれど、今思えばよくやっていたなぁ。
その場所で5年ほど栽培させてもらって収穫した綿は、こたつふとん1枚とかけふとん2枚分。全部紡いで布にするつもりだったのだけれど、途中から羊毛のほうが楽しくなってきて、紡いで布になったのはブラウスとパンツ1枚分だけとなった。
鴨川では羊毛の糸紡ぎの師匠にも出会った。彼女の紡ぎ出す糸は軽く、やわらかく、それでいて切れにくい。この紡ぎ方は今の私の中心となっている。師匠は自然や整体に造詣が深いこともあり、たくさんのことを学ばせていただいた。
30代のはじめには草木染めの教室に3年通い、絹や木綿、ウールを様々な染料で染めた。草木から直接色をいただくのは楽しかったけれど、もっといろんな色を使いたくなって、遠ざかっていった。
2010年につくばに戻って来てからは、羊毛ばかり触るようになった。アートをやってみたい、と教室に飛び込み、織りから離れて一生懸命やってみたものの、2年弱でからだが悲鳴をあげた。そしてまた紡ぎと織りの世界に戻ってきた。
現在は刈り取ったままの羊毛からマフラーを織り上げるほか、
染色された羊毛を混ぜてぽこぽこに紡いだ糸を合わせたアクセサリーや、
フェルトボールを丸めた小物制作をしている。私が「愛らしいもの」を作り出すとは全く思っていなくて、自分にびっくりしている(そして未だに照れ臭い)。
私はこれでも飽きっぽい。あれこれやって、残っているのが今の手仕事。
そんな中でも、糸紡ぎはライフワークと感じている。いくつになっても、淡々とやっているのだろう。
かなり個人的なこと
20代後半からの精神的不安定をきっかけに、各種セラピーやヒーリングを受ける。(ヒプノセラピー、オーラソーマ、チャネリングセッション、クラニオセイクラル、PBM(プレゼンスブレイクスルーメソッド)など)
それを通して経験したたくさんのこと、得られた安心感、つながった友人たちはたからもの。現在はこころの問題を取り出すよりも、からだをリラックスさせれば大丈夫、を体験、体感中。
・臼井式レイキセカンドディグリー
・魔法の質問 カードマスター
・アクセスバーズ プラクティショナー
・PBMワークファシリテーター
出展、展示歴
3人展(2016年4月 東京・目黒)
個展(2016年12月 東京・築地)
4人展(2019年2月 東京・神楽坂)
ヒツジパレット2012、2015出品
つくばスローマーケットvol.3(2010年)〜vol.11(2019年) のうち、7回出展
他、イベントや合同作品展など多数参加
**
現在制作している作品、活動**
・羊毛を紡ぎ、織ったマフラー、ショールなどの制作販売(→ネットショップ)
・フェルトボールのおまもりマスコットたちとアクセサリーの制作販売(→ネットショップ)
・糸紡ぎワークショップ など
HP : https://nakobo.com/
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?