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さようなら赤ちゃんー1年間の育児を振り返る

昨年の今頃、小さな赤ちゃんを産んだ。
2160グラムのちいさな体は壊れそうで、こわごわ抱くと、確かに温かかった。
それからつねに、この赤ちゃんと一緒の生活が始まった。

産まれてからが大変だよ、とよく言われるけど、わたしは我慢強い方だと思うし、わりにタフだし、家事嫌いじゃないし、きっと自分は大丈夫だろうなんて思っていたけど、
ぜんぜん、そうじゃなかった。

この1年は、自分の中の闇と光を見るような1年だった。
むすこが1歳を迎えたいま、振り返ってみる。

よくわからない無理をする

まず、困難だったのが、おっぱい。やっと出るようになったと思えば、飲ませるたびにこんなに小さな体のどこにこんな力があるのだろうと思うほどの激痛と、乳が湧き上がってくるゾワゾワとした感じ(催乳感というらしい)がして、1時間も経たぬうちにおっぱいを求めてくるむすこのことが怖くなるぐらいだった。そのうえ、わたしのおっぱいは、しこりがよくできた。そのたびに乳腺炎になる恐怖におびえ、飲ませなければと焦ってしまいミルクに上手に頼れなかった。おっぱいのことばかりを考え、ほぼ上裸で家にこもっていた。

外出は恐怖だった。変な菌をもらってしまうんじゃないか、赤ちゃんにスーパーの冷房は寒すぎるんじゃないか、お腹がすいたと泣き出してしまうんじゃないか。実際、外出先で泣き始めた時は焦った。授乳室を探して、なければトイレに駆け込み、あるいはケープをかぶって、あらゆる場所でおっぱいを出した。

笑いあっている親子を見ればまだボーッとしているむすこと見比べ、いつになればああなれるのだろうと途方にくれた。ほかのおかあさんたちはみんなキラキラして見えて、たった子どもひとりでめげてちゃいけないと思った。
わたしは大丈夫、と言い聞かせて眠い頭をゆり起こしてお弁当をつくり、むすこが寝ている時に抜き足差し足で家事をし、おっぱいに執着していた。

爆発する

そんなの、続くわけなかった。わたしのこの無理な頑張りは他にどこにいくところもないから、夫に向かって爆発した。寝かしつけひとつできないことを罵り、仕事とはいえ週3はある飲み会を呪い、家事育児への感謝を強要した。夫の好きなところがわからなくなり、ほぼ恨んでいた。
カチンときた時のわたしの言い方はとても悪いらしく、その上一言も二言も余計なことを言ってしまうので、夫をイラつかせた。

そもそも夫はいつも手作りの食事や完璧な家事など望んではいなかったし、わたしが好きだから、やっているものだと思っていると言った。だからそれに見返りを求められてもこまるのだと。そう言われたことに余計にムッとした。

でも確かに、考えてみれば、すべてはわたしのひとり空回りの、ひとり爆発だった。誰もそんなの求めてないのに、頑張らなくてもいいことを頑張り、具体的な言葉を夫に伝えられず、ただ不機嫌な態度として当たった。言わなくても、あなたも父親なんだからわかってよというのは、ただの傲慢だった。

キラキラしたおかあさん・つまになりたくて頑張っていたのに、わたしはかまってちゃんの、怖いモンスターと化していた。

夫婦で子育てをすること

ちゃんと、伝えなきゃいけないと思った。授乳が辛いこと、夜間授乳してるから睡眠不足なこと、子どものタイミングを見ながらごはんを作るのはとても大変だけど、料理は好きだし一緒に食べたいから頑張りたいこと、子どもをみながら必死に作っているから急に要らないと言われると絶望すること、見返りを求めているわけではないけど、育児しながらの家事は孤独でやりがいを感じにくいからたまに労ってほしいことなど、なるべく冷静に、丁寧な言葉を選んで、夫に話した。

夫はわかってくれたし、具体的な行動に移してくれた。出勤時間を調整して、わたしが台所にいる間にむすこをあやしたり洗濯物を干すなどの家事をして会社へ行くようにし、自分も夜間対応ができるようにとミルクを増やすことを提案してくれたり、わたしが夜ご飯の準備している間に寝かしつけをやってくれたり、いまや休みの日にはわたしより家事育児しているときだってある。仕事が忙しくい時には、これらのことができないときもあるけれど、ごめん!と本気で謝ってきたりする。

物理的に楽になったというよりも、一緒に育児している、ということが実感できたことがわたしの心を穏やかにしてくれた。いつも先回りして物事を考えてくれて、わたしのうかつだったり、じめじめとした部分もまるっと包んでくれて、まあ大丈夫だよと気楽な方に運んでくれる、夫のそんなところが大好きだったことを思い出せた。

夫も、多忙な日々の中で育児や家のことに参加できないことを後ろめたく感じていたんだろうと思うと、あんなに怒ってしまったことを申し訳なく思ったし、はじめからちゃんと話しておけばよかったと思った。

わかるように言葉にすることを怠っていると、いくら一緒にいたってわからないし、都度話し合っていかないと、子育てはやっていけない。そんなことを思い知らされた。

仲間ができた

いつの間にかむすこはどんどん目が見えるようになり、ちょっと離れたところにいるわたしを見つけると笑顔をくれるようになり、首が座ってたてに抱っこするとギュッと腕にしがみついてきたり、泣き声以外の声でむにゃむにゃと話しかけてきたり、おもちゃを掴んで口に入れるなどということができるようになってきた。

小さなことだけれども、むすこにとってはすべて大きな前進!ぜんぶが可愛くて、初めてのことを目撃するたびに、「ねえ、見て見て!」…と、言える人はいないので、こうふん気味にカメラに収めては、家族の写真共有アプリ「みてね」にアップする。
でもこの感動を、この場で誰かと共有できないのは、寂しかった。

夫婦どちらの家族も離れたところに住んでいるし、周りの友だちはみんな働いていたから、気づけば、平日は夫と朝、少し会話した以外人とまともに喋ってないなあ…ということもざらにあった。このままではいけない、と思っている時に訪問してきた地域の保健師さんに乳幼児向けの児童館を紹介してもらった。
コミュニケーション能力はひどく低下しているし、ママ友とか怖そう…と不安だったけど、勇気を出して行ってみた。

オドオドしながら児童館の扉を開けると、すでに何人かのママが輪になって話していて、どうしよう、ああ、やっぱり来なきゃよかった…と引き返したくなったけど、受付の支援員さんが「こんにちは!」「ここに名前書いてね!」「荷物ははいこっち!」とグイグイ案内してくる。

言われるがままにむすこと児童館のマットの上に身を下ろすと、むすこよりちょっと大きな赤ちゃんがハイハイでこっちに向かってきた…!するとその子のママが来て、
「こんにちは〜!」「何ヶ月?」「男の子?」などの会話が始まったかと思えば、
きょとんとしていたむすこが急にムズムズしだして、はじめての寝返りをした。
「はじめてなんです!」とこうふん気味に言うと、
「寝返りできたのー!すごいねー!!」と一緒に喜んでくれた。
めちゃくちゃ、嬉しかった。

それから児童館に通うようになって、自分以外のおかあさんたちも、みんないろんなことを悩んだり喜んだりしながら、日々過ごしていることを知った。自分以外の子どもたちの成長も、心から嬉しかった。

仲間がいること、居場所があることがこんなに心強いんだと知った。

寄り添ってくれた本

とはいえ、子育ての悩みは顔が見えるからこそ話せないこともある。
授乳や寝かしつけひとつでも、それぞれ考え方やこだわりがあったりする。家族のこと、仕事するか否かなど、いろんなパターンがあってそしてこれらはデリケートなことだから、なかなか言えないこともある。

そんなわたしに寄り添ってくれたのが、川上未映子さんの書いたエッセイ「きみは赤ちゃん」だ。

あの圧倒される文体で乳と卵を書き、村上春樹さんにずいっと切り込んで、きっと村上さんの本を読んできた人が聞きたかった以上のことをインタビューしていた川上さんが、ひとりのおかあさんとして、いろんな壁にぶちあたりながら必死に、子育てをしていた。

本の中の川上さんは、寂しい夜には一緒に泣いてくれて、時には一緒に怒ってくれ、ちょっとしたむすこの成長を一緒に喜んでくれ、少し先のところから、「大丈夫、いいことあるよ」と励ましてくれた。

かけがえのない、この時期に、本を通して川上さんと対話することができたのもまた、かけがえのないことだった。

渦の片隅で

むすこの夜の睡眠がまとまって取れるようになってきて、離乳食にも慣れてきて、授乳もだいぶ楽になり、ハイハイで行動範囲も広がってきた9ヶ月ごろ、巷では新しいウイルスの情報が渦めいていた。感染する・させてしまうかもと思うと児童館に行ったり友達に会うことはできないので、また家に籠る生活に戻った。

でも今度は、在宅勤務になった夫がいた。在宅勤務でも相変わらず忙しそうな夫だから、わたしとむすこの生活はさほど変わらないけど、すぐそばに、夫がいることで安心した。久しぶりに夫が仕事をしている姿を目にし、仕事をしている夫が好きだと思ったし、たいへんなのを感じるからこそ、わたしも頑張ろうとおもえた。

夫のほうも、動き回るむすこを仕留めて汗だくでおむつ&着替えをするわたしの姿や、お腹すいた!と騒いでいるむすこの様子をまいにち目にしているから、時々顔を出してなだめてくれたり、休憩しながらむすこと遊んでいる。
ひとりだともう勘弁して!となることも、ひとりじゃないから、もうーしょうがないなあーなんて余裕ができる。

通勤も、飲み会も無くなったから、家族の時間にも余裕ができた。みんなで朝お散歩したり、夜は揃ってごはんを食べることもできる。
ソファで夫とわたしの間を行き交い、替わりばんこに膝に乗って甘えているむすこは、わたし史上最強に可愛い生き物で、家族3人でこんなに穏やかな日々を過ごせていることは、とても幸せだった。
もちろん、この渦の中心で必死に戦っているひと、犠牲となってしまったひと、窮地に立たされているひとの存在を忘れてはならないことは、肝に銘じて。

手に余る幸せ

緊急事態宣言が解除されたすこしあと、むすこは1歳になった。もうおっぱいもミルクも飲まなくなり、小食の成人女性ほどの量のごはんをもりもりと食べ、丸かった顔はすこしシュッとしてきて、マンマ!と叫んでいる。

誕生日は夫の実家で過ごした。久しぶりに会うばあばとおばに浴びるほどに可愛い!という声をかけられ、満足そうなむすこ。
おもちゃをもらったり、沖縄式の一歳の行事、タンカーユーエーで将来を占ったり、ごはんを食べたりして過ごした。

新しくもらった赤い車のおもちゃに夢中になっていたむすこが、ふっとキョロキョロとしてわたしを探し、目が合うとめちゃくちゃ嬉しそうに笑っている。ハートを撃ち抜かれる。この手に余るような幸せだった。

この1年、あんなにくよくよして、キラキラしているおかあさんたちを恨めしがり、怖いモンスターになったりしていたときには、こんな幸せな日が来るだなんて思ってもいなかった。
子育てをしているみんなみんな、きっとこんな日々を過ごしてきたんだよね。

たくさんの失敗も、喜びも、いまになればすべてが宝物だった。
わたしたち夫婦は、むすこの名前を「天からの授かりもの」という意味で名付けたけど、ほんとうに、たくさんの幸せを運んできてくれた。

ありがとう、ありがとう。

泣く・飲む・寝るをただただ繰り返し、ぎこちなく手足を動かし、自分の手を見つけては不思議そうに眺めていた赤ちゃんはもうどこにもいなくて、そのことを思うと寂しいけれど、これからもむすこはどんどん前進していく。
そのたびにまた喜んだり落ち込んだりを繰り返すだろうけど、どうかどうか、すこやかに育ってね。

さようなら、赤ちゃん。

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