なゆ

30代子なし主婦。双極性障害・HSP・AC(アダルトチルドレン)を抱えながら暮らしています。わたしの生い立ちや日々感じたことなどを綴ったエッセイを投稿中。雑記ブログもやっています!ブログURL : https://nakinayu3.com

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30代子なし主婦。双極性障害・HSP・AC(アダルトチルドレン)を抱えながら暮らしています。わたしの生い立ちや日々感じたことなどを綴ったエッセイを投稿中。雑記ブログもやっています!ブログURL : https://nakinayu3.com

マガジン

  • 思い出の話をはじめようか。

    幼い頃から今に至るまでのわたしの物語。記憶を思い起こして少しづつ更新していこうと思います。

  • ふと、思ったんだけどさ。

    このマガジンは、わたしが最近思ったことや感じたことをまとめたものです。毎日毎日、ポジティブになんていられないさ。

    • 思い出の話をはじめようか。

    • ふと、思ったんだけどさ。

最近の記事

赤い服ばかり着せられていた幼少期。

去年の夏に、実家から子どもの頃の写真を取り寄せてからというもの、コツコツと隙間時間をみつけてはデータ化作業をすすめていたわけだが、小学校2年生まで見てきた中で気づいたことがある。 それは、幼少期はなぜか ”赤い服ばかり着ていた” ということ。 幾度となくこのエッセイでは言ってきたことなので、みなさんももうご存じかと思うが、わたしには幼少期の記憶がほとんどない。 しかしこの赤い服に関しては、自信を持って自分の意志で選んでいたものではないと言える。 なぜなら、現在のわたしは、

    • 2023年を迎えても、めんどくさい私は健在。

      約3カ月ぶりの更新になってしまった。 更新が途絶えてしまったのには、精神的なものや環境の変化などいろいろあるのだが、詳しくはブログにも書いたのでここでは割愛させていただく。 そして2023年一発目の記事をこうして書いているわけなのだが・・・ どうしてわたしはこうなのだろう。 これを読んでいる人には「何がだ?」と突っ込みたくなるだろう。笑 しかし今のわたしの心の中を表すのであれば、この言葉が一番ふさわしい気がする。 新年早々、わたしの頭の中にはネガティブな考えが充満して

      • 皆さん、あけましておめでとうございます! 昨年はつたない文章にも関わらず、わたしのエッセイを読んで下さり、本当にありがとうございました。 また今年ものんびり更新ではございますが、よろしくお願いいたします。 皆さんにとって幸多き一年となりますようお祈り申しあげます。

        • もう一度人生をやり直せるならいつに戻りたい?

          先日、いつになく寝付けなくて、夜中にふとこんな事を考えた。 私の人生は波乱に満ちたものだったと自分では思っている。 しかし自分と同じ様な病気を抱えた人や、毒親に育てられた人達の体験談を目にする度、なんて自分の人生は楽なものなのだろうと思わずにはいられない。 人それぞれ感じ方もつらさも苦しさも違う。 私にとってつらく苦しい人生だったのなら、それは紛れもなく苦しい人生だったはず。 けれどもいつの日か肝心な時になるとつらいことから逃げる癖がついて、時には他人のせいにして目を背

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          気が付けば「○○したよ!えらい?」と夫に聞くのが口癖になっていたこと。

          わたしと夫が出会ってから4年。そして結婚してから8年の月日が経った今、ふと思った事がある。 それはタイトルにも書いたとおり、一日の報告を夫にする際「○○したよ!なゆ、えらい?」と聞くのが口癖になっていたこと。 専業主婦の一日の報告なんてたかが知れている。 特にわたし達夫婦には子供がいない。 精神疾患をこじらせ専業主婦になったとは言え、出来たことなど単なる家事の一つでしかない。わたしは別に几帳面でも何でもないし、綺麗好きで家の隅々まで完璧にするような人間でもない。一日のう

          沢山の写真を前にして思う。

          先日、母にLINEで「久しぶりに昔のアルバムが見たくなったのと、紙写真をデータ化したいから家にあるもの全部送ってくれない?」とお願いした。 noteで自分の私記を残すと決めてから、なんとか幼い頃の記憶をたどって執筆してきたものの、完璧主義なわたしはひとつも思い出を取りこぼすことなく書き残しておきたい衝動にかられたのだ。 しかし全ての記憶を呼び起こすためにはこのままでは限界だと感じ、記憶を呼び起こすためのスイッチが必要だと感じた。そこで思いついたのが実家に置いてある幼少期か

          誕生日を迎えて思うこと。

          先日、38歳の誕生日を迎えた。 特に毎年これといって特別なことはしないので、普段となんら変わらない一日を過ごした。 しいて言えば、わたしの誕生日=結婚記念日なので、夜に夫がお寿司の出前を取ってくれたことがお祝いらしい時間だっただろうか。 SNSを開けば、有り難い事に誕生日のお祝いメッセージがたくさん届いた。 そして数少ない友人や母からもお祝いのメッセージが届いていた。 わたしは嬉しくて照れくさくて、どこかそわそわした気持ちを感じながらも、釈然としない感情が今年も芽生えていた

          新しいおうち、そして転校。

          とある1枚の写真がある。 それは真っ白な小さい家の模型を手にし、満面の笑みを浮かべて記念写真を撮るわたしの姿だ。 小学校二年生の春。 ついに我が家にもこの時が来た。 そう、夢のマイホーム建設! 今日はその頃のお話をしていこうと思う。 --------------------- ある日の夕食時間、突然父は楽し気に「重大発表があります!」とわたしに言った。 何事かと母の顔を見ると、母もまたいつもより少し楽し気な表情でわたしを見ている。 わたしは両親のいつもと違う雰囲

          わたしの相棒。

          わたしは今までペットを飼ったことがない。 今でこそ犬や猫に触ることができるが、子どもの頃はとてもビビりだったので、動物が突然予期せぬ動きをして飛びかかってくるのが苦手だった。 とくにわたしは昔から背が小さかったので、自分と同じサイズの動物にはとても苦手意識を持っていた。 一度、学校帰りにゴールデン・レトリバーのような大きな犬に追いかけられたことがある(笑) あれは幼稚園の帰りだったか小学校の帰りだったか忘れてしまったが、チビだったわたしよりもはるかに大きな物体が、猛スピ

          幼馴染と母。

          突然だが、みなさんには幼馴染といえる人はいるだろうか? 同性の幼馴染でも、少女漫画に出てくるような異性の幼馴染でも、どちらでもかまわないのだが、幼い頃から付き合いがある人だ。 わたしには幼馴染と言える人が2パターンいる。 なぜ2パターンと表現したかと言うと、一つは形の上での幼馴染で、もう一つは事実上の幼馴染がいるからだ。 今日はそんな幼馴染についてお話ししていくとしよう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ”幼馴染” それはわたし

          うさぎの女の子。

          「ねぇ、なゆちゃんはどんな動物が好き?何か飼ってる?」 とある日の休み時間。 ふいに出てきたその話題は、わたしたち女子の会話を弾ませるものになった。 「わたしは犬が好き!」 「わたしは猫がいいなぁ」 「わたしはハムスターを飼ってるよ」 そんな会話が飛び交う中、ひとりの女の子が静かに口を開いた。 「わたしは…うさぎが好きだな。」 その女の子はとても控えめな性格の子だったが、いつも可愛らし洋服を着ていて、おてんばだったわたしとは違いとても女の子らしい子だった。 わたし

          はじめての大怪我。

          先日、お風呂から上がって脚のマッサージをしていた時、ふと右足にある小さな古傷に目が止まった。 「あぁ、この傷。こんなに小さくなったんだなぁ…。」 右足首の内側、それも動脈が近くにある場所にその傷はある。 今日はこの傷ができた時のお話をしていくとしよう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 当時、わたしは小学校にあがってすぐにピアノの習い事をはじめ、毎週レッスンに通う日々を送っていた。 レッスンの場所はピアノの先生の自宅で、わたしはこの

          初恋ってやつはいつの事なのか。

          初恋。 それは言葉のとおり ”はじめて恋をすること” である。 人生の中で初めて異性に「好き」という感情を抱くことが初恋ならば、わたしの初恋は幼稚園のころだ。 しかし、この初恋ならではの甘酸っぱい思い出を覚えているかと聞かれると、幼い頃の記憶がほとんどないわたしには、残念ながら覚えていることは一つもない。 だとすると、わたしにとっての本当の初恋はいつだったのだろうか? 幼稚園のころに好きだったのは Yくん。 名前も覚えているし写真を見ればこの子だとすぐわかる。 しかし、

          おゆうぎ会。

          人生の中で一番最初に経験する大舞台。 その名も『おゆうぎ会』 今日は幼稚園のおゆうぎ会の話をしようと思う。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今でこそ一家に一台はハンディカメラやデジタルカメラがある時代だが、わたしの時代では子どもの記録を残す方法は家庭によってずいぶんと違ったように思う。 そしてわたしの家ではビデオで記録を撮ることがなかったので、いつもイベントごとにはカメラを構える父の姿があった。 しかし人生ではじめての大舞台であ

          大学病院と小さなおにぎり。

          わたしは現在、双極性障害で通院をしているのだが、実はもう一つ幼い頃からの病気を抱えている。 それは「クレチン症(先天性甲状腺機能低下症)」という病気だ。 この病気は生後1ヶ月のときに見つかり、幸い病気の発見が早く治療を開始するのが3歳より前だったため、障害は残らず一般的な子供と同じように成長できた。 死ぬまでこの病気とは付き合っていかなくてはならないが、薬を飲んでいれば日常生活に支障はないため、わたしにとっては大して重要な病気ではない。 しかし幼い頃はそうではなかった

          一人遊び。

          ブログにもさらっと書いたことがあるのだが、わたしには昔から夢中になれる趣味がある。幸いその趣味のおかげで、専業主婦になってしまった今でも暇を持て余すことがない。 そこで今日は、どうしてこんなに好きなことが見つかったのか記憶をたどってみようと思う。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 何度も言うようだが私には幼い頃の記憶がほとんどない。 昔のアルバムを見ると、ひとりっ子だったわたしは、幼い頃から一人で遊んでいた様子がたくさん写真に写っている。 そしてなかには父と一緒に遊