nemu
社会は生存の心配をしなくてよくなるための仕組み、という側面が一つある気がする。
まず人間の命を助けるのは、食べ物と住まい。
スポーツ、芸術はそれが無条件に満たされる退屈な時間をもっと、その人にとって意義があるものに変えるためのものじゃないか。
前提が崩れた場合、ぼくらの創作活動は保証されるのか、求められるのか。
そういうことを考えたら、政治について考えないことこそ無責任じゃないか。
でもぼくは人の目がこわい。ずっとだ。クラシックの偉い音楽家に怒られることを恐れているし、憧れのジャズマンに自分の音楽が響かないかもしれないことが怖い、電子音楽のいろはに詳しい人に技術の拙さを笑われるのが怖い。
この日記はたぶんつぶやかない。
今後も自分のために自分が聞きたい音楽を作る。それを許してもらえる社会であったらいいなと思う。
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