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【小説】 第五花 「ワスレナグサ」

「何で……」
花子は信じられないものを目の当たりにしているような複雑な表情をしている。授業中に飛び出してくるとは流石に思わなくて驚いてるのだろう。
膝をついて呼吸を整える。爆発しそうなほど脈打つ心臓を治るまで待つ。
「花子ならここにいるかなと思って」
「何で来たのよ!」
それは君が一番分かっているはずだ。
「こうなることは分かってたの! 離れ離れになるのは分かってたのに蓮といるのが楽しくて、嬉しくって。そして失うのが怖かった……」
震えた声、やっと自分の気持ちを言ってくれた。こんな風に思いの丈を全部ぶつけて欲しかったんだ。あの頃からずっと。
花子の大粒の涙は頬を伝う。零れてアスファルトに滲んでいく。それでも僕は笑った。花子も自然と笑顔になる。まるで魔法みたいに。
僕達は身を寄せ合って泣いて笑った。花子の温もりを直に感じてこのまま何処にも離したくなかった。それは叶わないと分かっていても。
暫くすると一台の車が僕達の前で止まった。車から降りた一人の男性がこちらに歩み寄って来る。
首が痛くなるくらい背が高い。眼鏡をかけており地味な服装から真面目そうな印象を受ける。雰囲気や柔らかい笑顔からは優しさが見受けられた。
「君が蓮君だね? 花子からいつも聞いているよ」
彼がそう言うと花子の頬はみるみるうちに赤く染まっていった。僕までも恥ずかしくなってくる。
「君の話をしている時の花子は凄く元気でね。あんな花子を見たのは初めてだったよ」
「ちょっと、お父さん!」
やっぱり彼は花子の父親であった。どことなく似ている。
謝る彼と怒る花子を見て微笑ましく思った。
すると彼の表情は真剣なものへと切り替わる。それだけで雰囲気が変わり、僕も花子も自然と背筋が伸びる。
大きな手で僕の手をぎゅっと握った。
「娘を、どうか忘れないでやってほしい」
握る力が強くなっていく。微かに震えている手が伝わって、そこに願いが強く込められていると感じた。その願いに応えるように強く握り返した。
握った時、僕の手に何かが渡された。一枚の二つ折りされた小さな紙。開くと花子の引越し先の住所が書かれていた。
「忘れません。絶対」
すると彼は安心したのか、笑顔で車へと戻って行った。
「私もそろそろ行かなくちゃ」
「ちょっと待って」
慌てて花屋の中に入って一輪の花を手に取る。今の花子に渡すのはこの花しかない。この花だって花子が教えてくれたんだ。
店主に渡すと優しい声で「良い花だ」と言った。
「僕もそう思います」
そう言ってお金を払い、花を受け取り店を出ようとしたその時だった。
「君はこれからも彼女を愛せるか?」
「え……?」
突拍子な質問に驚く、店主の目は怖いくらいに真っ直ぐ僕を見つめる。だけどその答えは至ってシンプルだ。
「はい。大好きですから」
「……良い返事だ!」
僕の背中を押そうとしてくれたのか。僕の気持ちを全て分かっているかのように、その言葉は胸に響いた。
僕が最後に出来ることはこれくらいしか思いつかないけれど、精一杯の気持ちを込めて。
「これって……」
ワスレナグサ。花言葉は『私を忘れないで』
僕は想い出の為にこの花を渡すんじゃない。この想いが消えないように。忘れないように。この花は再開を願う花となる。
「忘れるわけないじゃない……!」
くしゃくしゃな笑顔。それは作ったまやかしなんかじゃない。確かにここにある気持ちの表れなんだ。
「待ってるから。この場所で」
「……本当?」
「約束だ」
名残惜しさを残して花子は車に乗り込んだ。
この場で好きなんて言うのは野暮だと悟った。言葉なんて無くても僕達には分かる。もうどこにいたって繋がっている。
車の窓から顔を出した花子は言ったのは「さよなら」なんて悲しい言葉じゃなかった。
「またね」
行ってほしくないなんて考えは片隅に押し殺す。
「またな!」
必ずまた会える。そう信じて僕はそう叫んだ。僕がいくら走っても車はどんどん遠ざかっていく。
(待って)
小さくなって、見えなくなっていく。
(行かないで)
声には出さなかった、出せなかった。いくら未来を見据えても運命を信じていても僕らはまだ子供だった。手を伸ばしたって届かない。
「行っちゃったか……」
隣に花子はいない。帰り道がいつもより長く感じる。
僕は今日、初めて学校を休んだ。

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