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コピーライターではない経営者が考えた「ネーミングの妙」とは
なぜ、経営者であるぼくが、ネーミングについて語るのか。
ネーミングで第一印象は決まる。
面白い企画は、ネーミングが必ず良い。
ネーミングが人を惹きつける。
ネーミングが人を熱狂させる。
ネーミングを間違うと、内容が良くても魅力が半減する。
だからこそ、ネーミングにこそ一番気を使う。
プロジェクトの成否はネーミングで決まるのであれば、経営者が真剣に考えるのは、実は必然なのではないでしょうか。
プ
一時的同期で動機を生み出せ。体験することの価値と意味。
今を遡ること7年。
「体験を開発する会社」として、ぼくはdot button companyを立ち上げました。
今日は、なぜ「体験」にこだわるのか、お話できればと思います。
「体験」と「経験」
ぼくは、「体験」というトリガーをツール化することで、動機がなくて動けずにいる人を少しでも減らしていきたいと考えています。
「体験」は、辞書では以下のように定義づけられています。
似た言葉である「経
筋書きは6割で良い。余白のある仕組みをつくろう。
前回のnoteでは、ニュートラルに観察する眼を養って、もののとらえ方をアップデートしよう、というお話をしました。今回は、そうした観察力を実際にプロジェクトにどう活かしているのか、ご紹介します。
「ない」ものは、なにか。
突然ですが、あなたは、空き地を目の前にして「人で賑わう空間をつくってほしい」と頼まれたとします。人を呼び込むために、どんなアプローチを考えますか?商業施設など、なにか人工物を建
【人は思い込みで出来ている?!】あるがままを受け止める観察力
皆さんは、「コップの水理論」を聞いたことがありますか?
水が半分入ったコップを見たとき、「まだ半分もある」ととらえる人もいれば、「もう半分しかない」ととらえる人もいる。ものの見方は、人それぞれなのです。「コップに半分の水が入っている」という事実は一つであるにもかかわらず、その水に対して、自分のフィルターを通じた意味を与えていきます。
そして、イノベーションは、ものの見方を転換したときに生まれる
メタ認知からアイデアを生み出す〜夕陽スイッチ〜
ぼくには、思わず撮ってしまう景色があります。
それは、「夕陽」です。たまたま自分の写真フォルダを見返してみると、夕陽の景色が大量に残されていました。
きっと、こうしたシーンは幾度となく遭遇しているはずなのに、ぼくは夕陽の光に、無意識のうちに引き寄せられていました。
「夕陽」———。
眺めていると、今日も一日終わるのかという寂しさと、なにか落ち着く気持ちとが入り混じります。一方で、日の入り後の
ある日を境に、ぼくは筋トレを始めた。
きっかけは、漠然とした不安
ぼくは今、週に2回ジムに通うようにしています。
きっかけは、この先どれだけ自分がクオリティを保った仕事ができるかについて、漠然とした不安に襲われたことでした。
鍛えることで、身体を研ぎ澄ませられないか、と思ったんです。
最後に筋トレをしていたのなんて、大阪に住んでいた10年前に遡ります。
価値創造のために、なにが必要か
ぼくの仕事は、生きてきたなかでインプッ
仕事や人生に迷ったときはいつも「A3用紙」がぼくを助けてくれた
ぼくは「A3用紙」が大好きです。
人生のパートナーと言っても過言ではありません。
いま、ぼくは会社を経営しています。全国の企業や自治体と組んで、イベントやコミュニティなどの企画・運営をおこなう会社です。
「どうやって企画を実現させるか?」「会社の方針をどうしていくか?」毎日、考えることは山積みです。
そんなとき、いつも使っているのが「A3用紙」。
1枚のA3用紙に、関係する要素や条件をすべ
ぼくが大企業でのキャリアを捨てて、小さな「社会貢献の会社」をつくった理由
ぼくの人生を変えてしまった仕事があります。
それは、東日本大震災の被災地での、復興支援の仕事です。
自分が被災地に関わることになるなんて、思ってもみませんでした。
2011年当時、ぼくはアパレルの「ライトオン」で働いていました。震災当日はちょうど、カタログ撮影のために沖縄にいたんです。だから震災の揺れも経験していません。東京に電話をかけたらつながらなくて、なにが起こっているのかよくわからなく
高卒の元バンドマンがバイトをめちゃくちゃがんばってたら、社長になってた話
ぼくのキャリアのはじまりは「フリーター」でした。
社会に出たのは19才のとき。大学には行っていません。
高校を出てからは、ずっとバンドをやっていました。本気でプロを目指していましたが、なかなか売れず、くすぶっていたんです。
そんなとき、父がC型肝炎という病気だとわかりました。
「もう長くない」と通告され、ぼくはどうしたらいいかわかりませんでした。「このまま親のすねをかじりつづけるわけにはい
最初の会社は新卒が本社に行くのが一般的でそこに紛れ込んだものだから雑草と言われながらもがいてきた。実力以上の事を背伸びしながら何でもやった。きづいたら傷だらけの心と身体だけが残った。それでも音楽が自分を奮い立たせ、時に癒しをくれる。前を向く理由すらなくても音が助けてくれた。
完璧、完全には程遠いけど、視線を下げるのは最後でいい。難しいし、答えなんてないけど、その過程で、どれだけエネルギーを注いで登れるか、手が凍傷になるくらい辛い時でも、誰かが登って見せないと、その景色は伝えられない。
見えない山を登る覚悟は出来ているか。
毎日のように自問する。
火中の栗を拾う生き方。
誰もが問題だと思っている事があるとする。
例えば、環境問題、防災に関する対応策、少子高齢化による消滅可能性地域の問題。
一見すると、絶対にやるべき大義もあるし、応援してくれる人も現れるだろう。
私はそんな社会の善意やボランティア活動に従事する方を心から尊敬している。
ただ、それを既存の資本主義社会において、副業として取り組んでいる方も沢山出会ってきて、皆んなそれぞれに尊敬している。
ただ自
20代の頃読んで刺激を受けた本
われ広告の鬼とならん―電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯
著:船越健之輔
最後の章で書かれた富士山の登り方。
20代中盤の時、仕事の姿勢や生き方について悩んでいたタイミングで読んで衝撃を受けた下記の文章。そのまま、引用したいと思う。
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富士山を馬鹿にすると飛んだ目に遭う。
大抵のことでは登り着けない
藤岡幹大という心優しいギタリストとの想い出
「おい、なかやー。」
「おい、なかやー。」
何度も何度も名前を呼んで懐かしがってくれた15年越しの再会から約2年。
17才の時に初めて出会ってからどれくらい月日が流れたのか。
自分がバンドに夢中になり、高校にいきながら親に通わせてもらったMI JAPAN大阪校、イカツイ先輩が多いなか、いつも冗談言いながら面白おかしくギターを教えてくれた幹大さん。
今じゃ、Yahoo!トップだけじゃなく海外のメ