FA06_FA10の心構え_

06-ファシリテーター 10の心構え(前編)

ワークショップの特徴を6つに分けて説明した前回。それではプログラムデザインされたワークショップを進行していく(参加者を促進させる)ファシリテーターにはどういった振る舞いが求められるか。

実践者として、最も端的に整理できていると感じるのは、中野民生著『ワークショップ』(岩波新書 147頁)内でも引用している西田真哉氏の「ファシリテーターであるために望ましい条件」として10の項目(トップ画像参照)である。

ただ少し抽象度が高かったり、「なんでその項目、その言葉づかい?」というものもある中で、実践を重ねていくことで「もしかして、こうだから?」という自身の言い換えも含めて記述する。(前編)

①主体的にその場に存在している。
 ➡︎(自分も一員)

ファシリテーターについて「中立公平」を謳う人もいるとは思うが、個人的にはこれには異を唱える。もちろん、自分の考えを場に押し付けてはいけないし、議論が分かれた時に偏った進行をするのも良くない。しかしながらどれだけ中立公平でいようと思っても、人間である以上、主観が働くことについては認めなければならない。そういう状況下で中立公平、ニュートラルであらねば、と思うよりも「私もファシリテーターであるが、一員としてこの場に関わっている」と逆に腹を括った方が思い切った判断と態度が示せる。議論の整理だけに限らず、ファシリテーターの熱量や意識によっても場は共鳴するし、ファシリテートされていくこともある。

②柔軟性と決断する勇気がある。
 ➡︎(予定外は当たり前)

場に主体的であるが、誘導でもなく、偏ることにも気をつけながら、一人一人の反応から場の答えや選択を紡いでいかねばならない。柔軟性はもちろん重要であるが、決断する”勇気”という言葉に敏感になっておきたい。ワークショップをしていると、多様な反応が出てくるが、時として想定している流れそのものを全て変えた方がいい状況も出てくる(特に真剣な場であればあるほど)。その時「予定外は当たり前」という心構えをしておかないと、出ている反応から目を背け、つい考えていた進行スケジュールにとらわれることになる。これはクライアントへの打ち合わせや提出したタイムスケジュールについても「場によっては全く変えることがあります」と打ち合わせ中に伝えておくことが求められる。ここから先はワークショップデザイン領域になるが、プログラムデザインをしている際に「荒れるなら、この時点かな」「ここでこんな反応が出たら、変えざるえない」と言った動的判断ポイントや考えられるハプニングを伝えておくことも必要だろう。しかし、それでも、当日現場でそのような状況に立った時、瞬時にその判断を下すのは、とても勇気がいる。ただ、その勇気ある決断を下した数だけファシリテーターの度量は上がっていくのも間違いない(が、やはり怖いものなので、こうやってロジカルに言語化を重ねることで自分の中の判断の打率を上げていく努力をしているわけだが)。

③他者の枠組みで把握する努力ができる。
 ➡︎(参加者視点で捉える)

主体的に場にいつつ、柔軟に決断する心構えでいようとすれば、結局は何を判断基準にするか、何を見るか、どう感じるかが問われるわけだが、自分の内側よりも外側をキャッチすることから始まる。平たく言えば「参加者はどんな風に感じているか、感じるだろうか」を多く想定することだ。不満を持っている人、言い出すのが苦手な人、ワークショップをお遊びに感じ馬鹿らしいと思っている人、まだ状況が自分ごとになっていない人、実は参加者同士の人間関係で前向きに慣れない状況にある人などなど、状況に応じて想定される参加者のバリエーションを数多く想定しておきたい。こうったことに慣れていないファシリテーターの場合は、「自分に沸き起こる感情は場の鏡である」というモットーをもつことが有効だ(これは「自分も一員」という心構えを根拠とする)。そこに少しずつ慣れてきたら参加者のバリエーションを想定し、参加者視点で捉えることを手がけていくといいし、もっと慣れてきたら、参加者の様々な反応を「合図」として動的判断の材料に取り入れることをするといい(「合図」がどういうことかどうかはまた記述する)。

④表現力の豊かさ、参加者への反応の明確さがある。
  ➡︎(応じられると嬉しい)

これはむやみに「明るく振る舞う」という意味ではない。ファシリテーターとして参加者の発言や行動をちゃんと観ているか、ちゃんと捉えているか、ということを相手に周囲に伝える大切さについての語られた言葉だと思う。つまりは応じられているか、を問う言葉なわけだが「応じる」というのは「相づち、復唱、要約、言い換え」のことを意味し、相手に「ちゃんと聴いてますよ」「この解釈で間違っていないですよね」「私はその上でこう感じましたよ」と反応することを意味する。的確に応じることができると、話し手は「そう、そうなんですよ」という言葉や表情として表れ、承認されたことに嬉しさを感じるのだ。

⑤評価的な言動はつつしむべきとわきまえている。
 ➡︎(思う以上に影響あり)

ファシリテーターによる明快な反応は場を促進させるが、それゆえに「良い悪い」と言った言葉づかいも、かなり大きな影響を場に与えてしまう。特にこどもであったり、従属的な関係性の中でワークショップをすると「良い、悪い」の言葉によって、参加者がファシリテーターの顔色を伺って、良いと言われるような行動をし始めたりすることがある。なので「評価的な言動はつつしむべき」なのは間違っていない。だが、この「つつしむ」と「わきまえてる」という言葉に注目したい。プロジェクトのプロセスをファシリテートするような場合や、限られた時間と回数の中で到達目標がある場合など「ここで踏み込まなければ、マズイ」といったギアを踏み込む時がある。「禁じ手(かもしれない)」と自覚し、悩みながらも決断するのであれば、かまわないと考えている。「自分が思っている以上に影響力を持っている」立場を理解して、適正に使用しているか否か、ということ。何が適正かは常にわからない分、自分への疑いを持っている状態は健全であろう。

以上、まずは前半の5項目について私の考え方と言い換えを行ってみた。まだまだマインドの話ばかりで恐縮だが、ファシリテーションを学ぶ人であれば、必ず一度は自問してしまうことに応える内容になっているはずと信じたい。

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