
ちゃんと産んであげられなくてごめんね。と母は言った。
どうも、NAOKIです。
LGBT当事者の子供を持つ親の気持ちについて書こうと思います。
ちなみに私には子供はいませんが、FTM当事者として一通り乗り越えたあとで見えてくる光景があったので今悩んでいる人たちになにかヒントになればと思います。
性別再適合手術から15年経って、今でこそ両親と親子になれた気がしていますが、私がまだ10代の頃で悩みの渦中にいたころ、私も親との関係で苦しんだし両親もそれ以上に悩んだだろうと思います。
私は親を泣かせました。
父はカミングアウトした後の晩、ひとりで布団の中で泣いていたそうです。
母は「ちゃんと産んであげられなくてごめんね」と言いました。
私は「どうしてこんな生き方しかできないんだろう」と、罪悪感を感じていました。
私がセラピストの道を進んでスピリチュアルな世界に手を広げなかったら、自分や人生の理解、親との和解は今のようにできなかったと思います。
人生に起こることは必然で何も無駄じゃない。私たちに求められるのはその出来事を体験し、受け入れ、学ぶということ。
宇宙という大きな存在は違う部分を見ていたりする。魂は輪廻転生を繰り返していて、毎回この世で違う課題を与えらえれてくる。
この世での課題が「あとほんの少し」だった場合、流産や死産、生まれて間もない死で「クリア」することがある。
残された両親にしたら深い悲しみの出来事でちゃんと産んであげられなかったと自分を責めたくなるけれど、もしクリアのために必要な役割だったとしたら、役割を全うするべきであって責める必要は全くないのです。
LGBTの子供がいる親御さんたちも同じだと思うのです。
当事者とその親の関係の中で何かを学ぶために起きていると。
私はFTMが理由で自分を生んだ親を責めたことはありません。
ですが、悩み苦しんでいる姿を見たら親は責められている気持ちになっただろうと思います。
「ちゃんと産んであげられなくてごめんね」という言葉は結構長い間心に残っていましたが、
後になってインド占星術を学び、土星期から始まっている自分の今生のスタート。その時点、受精の時点ですでに何らかの制限や障害が入っていた可能性があるとわかり、自己理解がより深まった。
自分がどうしてこの人生なのかが、自分の人生のわかる範囲の中では理由が付かないことがたくさんあります。
なので自分自身も責めなくなりました。
私がそうなったので両親との関係もより自然的になりました。
もう済んだこと。と、終わらせてあげることはお互いを解放します。
まだ悩みの真っ最中にある方は今の状況を超えたらですが、必ずそういう日が来ます。
そして、どんなセクシャリティーでもちゃんと生まれてきているから存在している。存在の仕方にも宇宙のレベルではちゃんと意味と役目がある。
スピリチュアル的な発想かもしれませんが、少しでも気持ちが楽になればいいなぁと思います。
今日はこのへんで。
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