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ジョージア生活記1🇬🇪

※ジョージア編に入る前に注意事項をあげておく。ジョージア編はルートの都合上1編と2編に分かれる。理由はコーカサス地方の後、入国予定のトルコにはアルメニアからは入国が困難なため、先にアルメニアに行きジョージアに戻った上で西側からトルコに入国というルートを計画したからである。アルメニアはトルコに面している国だが仲があまり良くなくアルメニアからの入国が困難だからである。

 アゼルバイジャンでの日々を終えた私はジョージアにいた。流石に陸続きの国だけあって顔や雰囲気、自然の様子などが似ている。正直他国にきたという感覚はなかった。お金こそ違う。言葉も違う。しかし、私の今までに感じてきた「おっ」という大きな変化は感じられなかった。これを「慣れ」だと捉えることもできる。しかし、国境を越える時のワクワク感は確かにあったし、パスポートにスタンプを押された瞬間の音というのは何かゲームのミッションを達成した時の記念のような音に聞こえる。私には慣れというよりも物理的に隣接している国だからこその共通点だと認識している。

 しかし、コーカサス地方には何と言っても美人が多い。本当にびっくりする。周りを見渡せば美人しか目に入らない。ロシアの血が入るだけでこんなにも顔立ちが整うのかとロシアの血を恨んだくらいだ。それはここジョージアも同じであった。

 しかし大きく変わったこともある。それは宗教だ。モルディブ、イラン、アゼルバイジャンとイスラム教を主とする国を回ってきたが、ここジョージアの国教は「キリスト教」だ。キリスト教の高校を出た私にとっては懐かしいような初めてのような気持ちの悪い感覚があった。女性の服装は大きく変化した。ヒジャブなる頭に被るものは姿を消し、露出度も急激に上がった。メイクや髪の毛の色なども大胆になったように見受けられる。アルコール類の販売も人目を気にせず大胆になった。むしろジョージアの特産物はワインというくらいだ。どこに行ってもワイン店が軒を並べて、そこら中にバーの呼び込みが観光客に対し声をかけていた。

 ここはトビリシ。ジョージアの首都である。いかにも首都といったお馴染みの

「I **❤️ Tbilisi」**

のモニュメント。どこにでもあるのだろうか。そんなものには飽き飽きしていた。
ジョージア。ここはどんな国なのだろうか。私は好奇心と若干の期待を込めて今日も街を歩いていた。
 ジョージアは旅人が口を揃えて「良い」という人気国だ。まだまだ日本には馴染みがないかもしれない。何がそこまでジョージアを人気にさせるのか。それは特産である「ワイン」をはじめとしたアルコール類。それから料理だ。ジョージアの料理は味が濃く、アルコールとの相性が抜群だと言われている。私もその料理に興味を持った1人に過ぎない。だからこそ好奇心の他に期待が生まれていたのだ。
 どのくらい歩いただろうか。教会も見て回った。初日にしては動きすぎたくらいだ。そのくらいジョージア料理というものに魅了されていたみたいだ。いつの間にか日も暮れてきた。良い感じに腹が減ってきたのに気づいたのもちょうどこの頃だった。観光地のど真ん中「旧市街地」には高級レストランらしきものしか存在していない。私はそこから距離をとり、できる限りローカルな店を探した。
 ジョージアは治安も良さそうだ。日がくれても女性が1人で歩いている。子供も遊んでいる。私はいつの間にか細く暗い路地に入っていた。1人で歩く足音が周りの建物に反響して木霊する。自分が奏でるリズムがこんなものだったのかと初めて実感する。私は今どこにいるのか。それを確かめるために歩いていたのかもしれない。どこかから子供の声がする。一本先の小道からだろう。こんな時間になっても純粋に遊んでいる子供達が羨ましい。いくら自由になったところで、私たち大人になった人間は知性が働きすぎてしまう。明日のこと、明後日のこと、その先のこと。無意識に考えてしまう。まだ何もわからない彼らは無邪気にボールを蹴っていた。

 ひたすらに歩いていると、目の前にレストランが現れる。良い匂いだ。私はここまで歩いた自分への労いということで自分を納得させ値段も見ずに入って行った。
メニューを見てもわからないジョージア文字。なんとか解読しようと試みてると、その隣に英語のメニューも丁寧においてあった。なぜか悔しかった。こんなことで一喜一憂できてる自分もあの子供達のように純粋な人間なのかもしれない。
 私は1番気になっていた「シュクメルリ」という料理を頼んだ。なんとなくパンもつけてみた。店員が不敵な笑みを浮かべているのが気にかかったが私は自信を持って注文した。シュクメルリはチキンをニンニク、サワークリーム、チーズなどの濃厚なソースにたっぷりと浸し焼き上げたジョージアの代表的な料理だ。これが食べたかった。私はとにかく待ち続けた。注文が入ってから作り始めるようで、時間がかかる。かれこれ40分ほど待つと、想像以上の大きな器に入ったシュクメルリが満を持して出てきた。その時に店員が不敵な笑みを浮かべていた理由がはっきりとわかった。この料理は1人で食べるものではないのだろう。どう考えても大きすぎる。グツグツと地獄の門のように湧き上がるスープをかき混ぜるとチキンが丸1羽入っているではないか。そこにとどめを刺すようにやってきたのが2枚の大きなパンだった。なるほど。食えないと思われていたのか。注文を待っている間に入店してきた2人の男性も私の前に堂々としているその料理を見て笑っていた。

 私の闘志はそのシュクメルリのようにグツグツと燃えていた。なぜか彼らの思うような結果にはなりたくなかった。私は両手を合わせ「いただきます」と唱えた。
私の戦いは始まった。軽く1キロは超える総重量に立ち向かう。1口目に味わうスープは絶品だった。久しぶりに感じる濃厚なニンニクの味。衝撃的な味だった。
「うまい」そう漏らしながらチキンにかぶりつく。口休めにパンを浸し飲み込む。
周りを見ると皆がこっちを見てる。私は顔色は1つも変えず黙々と食べた。必要のない意地とプライドだけがフォークを持つ手を動かしていた。
 半分程度食べると店員が覗きにきた。なかなかやるじゃないか。そんな目で見てくる。「グッド」簡単にそう告げ、また手を動かす。私はひたすら食べた。4分の3を食べきる頃には店員も不敵な笑みから笑顔に変わっていた。厨房から料理人も出てきた。笑っている。お腹ははち切れそうだったが、ここは苦しい顔をすることをグッとこらえ涼しい顔を作った。とにかく流す。胃袋に。それなりに鍛え上げてきたつもりだ。とにかく噛む。飲みこむ。いつの間にか自分との戦いになっていた。

 そして最後の一口がやってきた。目の前には遺跡のような骨が綺麗に積み重なっていた。最後まで平然と美味しそうに飲み込んだ。その時の店員は私に釘付けになっていた。フォークとナイフを置き、両手を合わせ「ごちそうさま」と唱えた。
私は料理に対する満足感と、相手の想像を上回ることのできた満足感の2つの満足感に満ち溢れていた。
店員がオーダーを聞きにきたときとは全く違う顔つきで皿を下げにきた。そして徐に中身を除き「Very Goooooooooood!」と声をかけてくれた。この瞬間に勝利が正式に決まった。「thank you」そう答え、私は会計を済ました。カッコつけたのかもしれない。かっこいいことなど何もしていないのに。

帰り道、パンパンに膨れたお腹と心が心地の良い時間を与えてくれた。涼しい風に吹かれ、歩くその帰路はきっと忘れることのないものになるだろう。
 戦いでもなんでもない架空のリングに立ち、私は無理矢理に勝利を収めた。
この国は面白い。そう考えた私はやはりばかな男なのかもしれない。そしてこの先のことなど案外何も考えていない男なのかもしれない。

あの路地で遊ぶ子供たちのように。

こうして私のジョージアの生活は最高のスタートを切ったのであった。