見出し画像

ジョージア生活記3🇬🇪

「天国に近い教会」

首都トビリシから北西に向かうと
存在する「天国に近い教会」私たちはその姿を見るためにカズベキという村に向った。トビリシからはマルシュと呼ばれるミニバスの様なバンの様な特殊な形の乗り物に乗って行くことになる。もちろん、予定時刻は存在するがその時刻通りに行くことなんてない。人が集まったら、座席一杯に人間が乗り込んだらスタートという極めて曖昧なシステムなのだ。
 客引きなのか友達なのかよくわからないおじさんたちの集団に声をかけてみてもタクシーだとか、案内すると行って連れて行った先がまたタクシーだったなどという真面目なのかふざけてるのかよくわからない時間を過ごしたのちやっとの事で乗車するマルシュが決定した。とは言ってもここからがスタートなわけで、まだ私たち3人しか乗っていないこの車に最低でも3人以上は乗らないと出発しないだろう。ここからは耐久レースのスタートなのだ。待つこと10分、15分、人っ子1人乗ってこない。先程まで必死に声をかけていた運転手と思われる男は呑気にタバコを吸って同じ運転手仲間で談笑していた。20分が経過したところで2人組のオーストリア人夫妻が乗車。その際に運転手から料金のことは言うなと口止めされた。恐らく高額な料金に引っかかったのだろう。私たちは事前に調べていた手前正規の料金で乗れたが、こう言った小遣い稼ぎも日常茶飯事なのだろう。その後ジョージア人も数人乗車し、運転手が後1人乗ったら出発と言った。早く声をか蹴てくれれば良いものの、やはりそこは日本人と考え方が違うらしく、しっかりと胸元からタバコを出し、火をつけた。もう乗車してから何本吸ってるのか数えるのもやめたくらいだ。すると先ほどから近くをずっとフラついていた男性が私たちの車内を見て乗ってきた。どうやら出発しそうな車を探し、自分が最後の1人になった所で乗るというこのシステムに対抗した最も効率の良い手段を取っていたらしい。さすがだ。私たちは結局30分を遥かに超える時間待ったあと、やっとの事で出発した。しかし、いま考えてみると、この時間も対して遅くはないのだろう。いやむしろ早いのかもしれない。そんなことを思っている。

 マルシュは勢いよく走る。この国にスピード違反はないのだろうか。対向車がいても御構い無しに前の車を抜かそうとする。もう好きにすれば良い。トビリシを出てわずか10分もすれば世界は大きく変わる。一面に広がる緑。自然。牛。馬。やぎ。あまりにも激しい景色の変化に思わず首都トビリシも覆面をかぶったガラクタなんじゃないかなんていう想像が頭の中を駆け巡る。
 順調に道のりを進んで行くと、目の前に渋滞が現れた。しかし御構い無しで車線の外側から抜かそうとする。どうせ先で止まってるのだから変わらないだろうなんて思ったが、後ろから同じ様な車がたくさん来るので、もはやこれがこの国の常識なのだろうと考えない様にすることにした。事故かなんかかと思ったが、どうやらその日はジョージアの独立記念日らしく、その道をパレードで使用するための一時的な交通整備だった。1時間くらいで通過できるようになるという。どうやらジョージアの運転手たちのレベルはそれほど低いわけではないみたいだ。

こうなると事実上のの休憩らしく、皆思い思い外に出たり、タバコを吸ったり、自由時間になっていた。これも海外スタイルなのだ。
 15分ほど休憩していると、運転手が痺れを切らしたのか、やっぱり違うルートから行くから乗れと若干の怒りを含んだ顔で言ってきた。八つ当たりも勘弁してくれと思ったが、そこは黙って乗るのが日本人の美学。車は急旋回をし、今通ってきた道を戻った。と思ったら、5分ほど走ったところで休憩だと言い出した。どうやらお茶でも飲みたかったのだろう。なんでも良いがとにかくカズベキには行ってくれよという思いだけが強くなっていることを感じた。
 私たちはこれまたジョージアの名物料理「オーストリ」を食べていた。すると、また急に何か思い付いたようにもう出発するから早く乗れと遠くから叫んでいる。気まぐれもほどほどにしてくれ。残っていたものを口に全て放り込み会計をすると、今度は会計がやたらと高い。後ろからは早くしろという大きな声。前では金の計算。天気がいいのだけが唯一の救いに思えた。
結局会計は頼んでもいないものまで含まれていて、通常価格に戻り、マルシュにも無事乗り込めた。あとはカズベキに着くのを待つだけだった。

そこからしばらくは絶景の連続。そしていつの間にかカズベキに到着した。マルシュを降りた瞬間に感じるマイナスイオン。そして気温の低さ。何よりも目の前にそびえ立つ大きな山が私たちの心を躍らせた。とてもいい村だ。最高の場所に思えた。目的の教会は遥か遠くの山のてっぺんに見えている。小さな教会にしか見えない。色んな事があったおかげで到着も遅れてしまった。今日は寝ることにした。翌日の朝にアタックするのだ。私たちはまた、安くて大量に購入できるビールとワインをまた夜中まで楽しんだ。

翌朝空は雲一つない快晴。これでもかというくらいに目の前に大きくそびえ立つ山を目の前にして、私の気分は最高潮に達していた。私たちは準備をさっと終わらせると、早速天国に向
かって歩みを進めた。山の上に小さく見える教会が一歩進む度に段々と大きく見えて来る。約1時間半のトレッキングと言われていたが思いの外にキツイ。昨晩に飲みすぎたせいなのかもしれない。息が上がる。やっと教会の全貌が見えてきたときにはもう体が汗で滲んでいた。
今目の前には天国に近い教会が堂々とした格好でこちらを見つめている。その教会とともに、いや教会よりももっと大きく存在感を発揮しているのがカズベキ山だろう。もうその向こう側にはロシアが待っている。そう思うとさらにその山が魅力的に思えた。実際には教会よりも、その山を見晴らすことのできるロケーションが美しく、教会はほどほどに芝生に尻をつけてただ呼吸をしている時間の方が長くなってしまった。


そこで火をつけたタバコの味は上品な味がした気がする。自然のエネルギー。そんなものはないと思っていたが、実際には存在するのかもしれない。息を吸うだけで身体が軽くなる。力が湧いてくる。そんな錯覚を起こした。きっと私だけではないはずだ。

見下ろした先には小さな村。こんなところにも人間は住んでいる。雄大な自然に囲まれて。
時間の経過とともに変わっていく雲。山の頂上が分厚く大きい雲に隠れてしまったタイミングで私たちは下山した。教会を背にして、歩くときにに踏み出す一歩は登ってきたときよりも遥かに強いものになっていた。

私たちはその日の夜もまた酒を飲んだのであった。そしてその晩アルメニアからトルコへ入国できないことを知り、急遽アルメニアに行くことになったのである。