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日本人は知識と経験が圧倒的に足りない?ー現役日本語教師だから知っている多文化共生のトリセツ

 こんにちは!法政大学キャリアデザイン学部1年の中野です!前回の更新からかなりの時間が経ってしまいました…💦久しぶりの更新になる今日は、またまた外国人キャリアについてのお話です!どうぞお付き合いください。

 今回は、生きづらさをテーマに在日外国人の生きづらさについてのインタビュー調査から学んだことを共有させていただきたいと思います。今回、インタビューにご協力いただきましたのは、愛知県で日本語教師をされているはやしえみさんです。お忙しい中お時間を作っていただきありがとうございました!改めて感謝の言葉の述べさせていただきます!

 では、ここから実際に行ったインタビューでのお話を皆さまにも共有していきます。

音がうるさい!香辛料がキツい!

 さて、まずは留学生など外国人が日本にやってきて最初に感じる生きづらさについてお話ししましょう。前提として、はやしさんが日本語を教えているのは全く話せない状態の外国人です。日本語を話せない外国人が日本にやってきて感じる壁についてです。

①銀行口座が作れない
 留学生が日本にやってきて困るのはお金の問題です。銀行口座を開設しようとしますが、日本語が読めず、書くこともできません。こうした中で口座開設をすることは極めて困難です。そうした中でかつては日本語教師による代筆を行うことでそれを可能にしていたわけですが、一昨年ごろに各銀行から日本語学校へ通達があり、代筆が禁止されたのです。唯一、代筆が可能であったのはゆうちょ銀行。しかし、日本への在住歴が半年以上でないと海外送金ができないという難点がありました。この制度的な問題により、外国人は日本にやってきる際に多額の現金を持ってこなければなりません。

②生活習慣の違い
 これは皆さんもよく聞く話ではないでしょうか。ニュースなどでもピックアップされることもあるような内容が多々あります。特に多いのは騒音問題でしょう。しかし、これは外国人自身の母国の文化的背景が強い問題ともいえます。例えば、ブラジル人は自身の好きな音楽が見つかればそれを独り占めするのではなく、大きな音でみんなで楽しめるような形で流すのです。しかし、我々日本人にとっては騒音でしかないでしょう。隣に住んでいる見ず知らずの人が突然、大音量で音楽を流し始めたときにあなたはどう思うでしょうか。例えそれが知人であるのなら、どこか怒れない自分と許している自分がいるのではないでしょうか。それに対し、知らない人出会った場合、どうなるでしょう。「うるさい」「静かにできないのか」そう思わないでしょうか。それが見ず知らずの外国人である場合、その思いは極めて強くなると考えられます。こうした文化的背景の違いから郷に入っては郷に従えという精神で接する日本人によって生きづらさを感じさせる要因になっているのだでしょう。

「ちょっと話せる=話せる」という勘違い

 続いて話を進めていくのは、日本語教育が進み、多少日本語でコミュニケーションが取れるようになってきた外国人の感じる生きづらさについてです。さて、この章の見出しをみて「何を言ってるのだ?」と思われたでしょうか。ただ、これは我々日本人が外国人に対して勝手に考えてしまっている思考なのです。どういうことかを説明していきます。

 例えば、我々日本人が「Can you speak English?」と聞かれた際に、英語に相当自信がない限り、「Yes!」とは言わないでしょう。これは日本人にとって語学レベルは大まかに「0:全く話せない」「100:話せる」という段階しか存在していないからであろう。しかし、我々も感じているように語学レベルは人それぞれであり、多少のコミュニケーションが取れる場合もある。そうであるのにもかかわらず、我々日本人は少しでも日本語を発する外国人に対して、話せるものとみなしてしまう傾向にある。こうした我々の価値観と外国人の語学レベルとのギャップが、外国人にとって生きづらさを感じさせる要因であるといえる。

分断社会にならないために

 はやしさんはインタビューの中でこのようなお話をしてくださりました。現在のような社会が継続することで懸念されるのは外国人ネットワークと日本人ネットワークが完全に分断された社会になってしまうということです。こうなってしまうと、良い生産は生まれないでしょう。では、こうした分断社会を生まないためにはどうすればいいのか。日本において多文化共生がなかなかうまく進まない理由の一つに次のようなものがあります。

「日本人の知識不足と経験の無さ」

 一つ一つ噛み砕いて説明しましょう。まずは前者、知識不足という点について。これは他文化への知識不足ということです。例えば、宗教的背景で豚肉が食べれない、鶏肉が食べれないということはよくあることですが、我々はそれを正しく理解しているだろうか。このような日本文化とは違う文化に対する知識が圧倒的に足りていないとはやしさんは指摘しています。

 後者についても同様でしょう。島国である日本に生きる我々はこれまで他の民族との関わりはそう多くはありません。こうした他民族との関わりの経験のない我々日本人にとって外国人が同じ国土にいるとしてもどこか遠い存在に感じてしまっているのではないでしょうか。私の短い人生の中でもこれを実際に感じることがありました。私の高校には毎年留学生がやってきます。高校2年の際にやってきた留学生は我々の学年に入ることになりました。私のクラスではありませんでしたが、その留学生のクラスをのぞいてみると仲良くしている子がいました。その時の私はその環境をよいとしか捉えていませんでしたが、なぜその子が留学生と仲良くなったのか。それは他民族との関わりの経験があったから。彼女はその数ヶ月前までカナダへ留学へ行っていました。カナダでは中国からの留学生や現地の学生など多民族・多文化に囲まれた生活を1年送ってきた彼女だからこそ、留学生の子とコミュニケーションを図り、友人となったのだろう。他国に飛び込んだ留学生の孤独さを知っていた彼女だからこそできた支援だったと今感じる。

 ただ、私をはじめ多くの学生は留学経験などないでしょう。しかし、多文化共生を求められる社会に生きています。経験がないから私には無理。それでは済まされない社会です。ではどのようにすべきなのでしょう。

まずは他文化を知ることから始めよう

 なんと言っても重要なのは、他文化を理解すること。同じ人間であっても、バックグランドにある生活習慣や文化は異なる。こうした文化を理解することこそが、多文化共生社会実現のための第一歩になると考えています。だからこそ、私は今、このnoteを書いているのです。

 研究のためだけに調査をするのであれば論文やレポートにまとめて課題として提出せれば終了。しかし、それでは何も変わりません。私は私のためだけに研究をしているのではありません。在日外国人にもキャリアの自由があるはずなのに現実はそうではないということを変えたいと思っています。そのためには日本人との共生を進める必要があると考えます。ですので、このnoteを読んでくださっている皆さんが今、周りにいる外国人に対して少しでも興味を持ってくだされば、と思います。

 私の在籍する法政大学には多くの留学生が共に学んでいます。現在はオンライン授業が展開されているため、関わりを持つことは難しい中でありますが、オフラインが始まり、対面授業を行えるようになった際には是非とも外国人留学生と積極的なコミュニケーションを図って欲しいと考えています。こうした行動が、これからの社会をより良くするための第一歩になると考えています。




 長くなりましたが、今回はここまでにしたいと思います。はやしさんへのインタビューはこのnoteにはな書ききれないほどたくさんのことをお話しいただきました。更に、明後日にはまた別の現役の日本語教師の方にインタビューをさせていただくことになっています。そちらもnoteにまとめようと考えておりますので楽しみにしていただければと思います。

 今回は生きづらさをテーマに在日外国人の生きづらさについてはやしさんへのインタビューをもとにお話しさせていただきました。言葉足らずではありますが、なんとか皆さんに思いが伝わっていれば幸いです。そして、はやしさんにおきましては、改めまして、今回はインタビューにご協力いただきありがとうございました。

それではぁ〜!

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