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超能力はフィールド限定

スポーツをしていると超能力を使えることがまれにある。一番わかりやすいのはアイコンタクト。僕はサッカー部だったからサッカーをイメージして話をすると、それは同じレベルのプレイヤーが同じくらい疲れていて同じくらい高い集中力を発揮しているときに起こりやすいような気がする。

目と目があった瞬間、未来のビジョンをふたりは共有する。それは反復された練習のおかげかもしれず、効果的なプレイを生み出そうと考え続けた結果かもしれない。けれど僕はそれを超能力だと思う。そのとき僕の体は何かに促されるように自動的に動くからだ。時間が省略される。目が合ったと認識した瞬間に体は次のプレーへ向かっている。

中には超能力としか思えないドリブルをする選手がいる。どれだけディフェンスの足にボールを引っかけようが何故かボールは彼の前に転がってくる。未来予知のようにこぼれ球を必ず拾う選手もいる。シュートを正面に蹴らせる能力を持つキーパーもいる。本当はどれも超能力として片づけるのは失礼かもしれない。それらは選手の練習の成果なのだろう。

僕はあまりひとりの力で状況を打開できるフォワードではなかったが、運良くいつもチームにひとりは素晴らしいパサーがいた。そして僕は足が速かった。ゴールを決める時はいつもほとんど同じパターン。ディフェンスラインの裏へ抜け出し、キーパーと一対一。違いと言えばそのままシュートを打つか、飛び出してきたキーパーをかわすかくらいだった。

高校へ入学すると、僕はサッカーはやめて軽音楽部に入ろうと思った。見学の日、僕はひとりで軽音楽部の部室へ向かった。部室の中にはカッターシャツが飛び出した切れ長の目の生徒がいて、ギターを下の方で構えていた。窓越しに目があった。アイコンタクト。僕は自分が場違いだと言われたように感じた。結局部室の扉を開けることはなく、僕は別の目的を持っていたように廊下を歩き去った。

二年生のクラス替えで僕はあの時の軽音楽部と同じクラスになった。彼が同級生だったことにも驚いたが、もっと驚いたのは僕が彼ととても馬が合ったことだ。僕らは机を合わせて弁当を食べ、昼休み中ずっと彼が落としてきたデジモンのアニメを見た。彼にギターを借りて練習していた時期もある。

あの時のアイコンタクトで、僕は彼の意図とは全く別のものを受け取ってしまった。それは僕の偏見や劣等感にゆがめられたものであった。サッカーは高校いっぱい続けた。今でもたまにフットサルをすることもあるが、友達が少ないのでなかなかメンバーが集まらない。

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