直訳と意訳

ふと「訳」について考えてみた。

大学時代に受けた中国語中級の授業で、ビジネス文書に書く結びの「祝工作順利!生活愉快!」を訳すよう指示された。直訳すると「仕事がうまく行きますように。生活が楽しくありますように。」という決まり文句なのだが、直訳では日本語として変なので、「貴社のご発展と、皆様のご多幸をお祈り申し上げます。」と訳して課題を提出した。教授からは手放しで誉められた。

そういえば、と、高3の現国で舞姫をやったときのことを思い出した。法学の勉強にうんざりした主人公の日記の「一たび法の精神をだに得たらむには、紛々たる万事は破竹のごとくなるべしなどと広言しつ。また大学にては法科の講演をよそにして、歴史文学に心を寄せ、やうやく蔗を噛む境に入りぬ。」を訳せと言われた。「ひとたび法の神髄さえ理解すれば、入り乱れた万事は一刀両断に解決できるだろうと広言した。また大学では法学の授業をそっちのけにし、歴史や文学にうつつを抜かし、ようやく面白みがわかる境地に入った。」と意訳した。これまた先生に意外なほど誉められた。先生の中では「神髄」や「一刀両断に解決できるだろう」や「そっちのけにし」や「うつつを抜かし」が気に入られたようだ。

英語や中国語や古典の和訳・口語訳を読むときに、ふと「これで良いのか」と思うことがある。別に私は文学を専攻していた訳でもないし、造詣が深い訳でもないのだから気にする必要もない。ただ、その文章を書いた人が伝えたかったニュアンスや感情まで、読み取ることができたら楽しいだろうな。英語入試の和訳問題を添削しながらそんなことを考えた。

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