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FF7リメイクにエアリス生存ルートは実装されるべきか

気候も段々と暖かくなってまいりました。この春から新生活を始める方々も大勢いらっしゃると思います。僕もこの春から仕事が決まったら、プライベートではゲーム三昧を夢見ているのですが、やはり個人的に注目のタイトルはいよいよ来月に発売が迫った「FF7リメイク」です。

グラフィックが一新され過ぎて(良い意味で)もはや別ゲー。しかし多くのプレイヤーが初代PS版のあの粗いポリゴンから想像力によって補完していた世界観を見事に表現した作品に昇華されていると感じます。神羅カンパニーとミッドガルのスラムに住まう人々。それらのテーマは今日的な格差社会を風刺している趣もあり、スクエアエニックス社も社運を懸けたプロジェクトとして企画を進めているのがビンビンに感じられます。

各シーンのセリフや演出も一新され、まるで「Detroit:became human」のような「プレイする映画」とも言えるFF7リメイクですが、どれだけオリジナルのプレステ版をどれだけ踏襲するのか、又はどれだけ改変要素をブチ込むのかというのはかつてのプレイヤーなら誰しも気になるところでしょう。

そんな中、僕が個人的に気になっているのは「エアリス生存ルートは実装されるのか」という問題です。

本作のヒロインであるエアリスは冒険の旅の道半ばにして、主人公クラウドの宿敵セフィロスの凶刃に倒れ、命を落としてしまいます。彼女の死は深く悼まれることとなり、PS版の発売当初にはゲームとは全然関係ない週刊誌にすら、「エアリスが生きている真のエンディング」があるはずだという旨の記事すら掲載される程、多くのプレイヤーは衝撃を受けたのでした。

当時、何処かにエアリスが蘇って生存してハッピーエンドを迎えられる方法があるはずだと信じてFF7の世界中のマップを踏破しました。サガフロワープもやりましたよ、ええ。別世界でクラウドとエアリスが再開するあのエンディングのワンシーンを見たいが為に、初代『キングダムハーツ』をクリアしたのは僕だけではない筈です。

はじめて仲間になるシーンではクラウドにボディガードを要求してその報酬が自分とのデートという、今思えば何とも奔放な女性と感じさせる振る舞いをするエアリスですが、そんな彼女に心臓を鷲掴みされた諸兄は多かろうと思います。もちろん僕もその一人です。古代種という過酷な運命を背負った出生や、神羅カンパニーからの現代版「囚われのお姫様の救出」といったストーリー。それが彼女の魅力を引き立たせておきながらの主人公クラウドとの死別。それがエアリスというヒロインの存在をより忘れがたいものにしています。

非業の死を遂げたキャラクターをリメイク作品で救済するというのは、同スクエニ社の作品では『ドラゴンクエスト4』のデスピサロという前例があります。ドラクエ4のラスボスであるピサロは恋人のロザリーを人間に殺された怒りから勇者一行と対峙しますが、原典であるファミコン版から時を経たプレステ版のドラクエ4リメイクでは、ロザリーを生き返らせてピサロと和解するシナリオが追加されています。

ゲームのシステム面だけに言及するならば、多くのプレイヤーが実践したサガフロワープのように、データ上だけでエアリスを仲間にした状態のままストーリーを進めるということは全く問題ないはずです。FF7リメイクはアクション性の強い戦闘システムになっていますから、ラストバトルの大空洞でセフィロスの頭部をガードロッドで元気に殴打するエアリスの姿が見られるでしょう。

しかしストーリーを改変するとなると話は別です。

エアリスが生存する、もしくは生き返るルート。いちユーザーとしての希望もしくは予想ですが、製作側もそのifルートの存在は意識せざるを得ないでしょう。ただ本当にリメイクでやるべきなのか。FF7が好きな人でそれを望まない人のほうが少ないかもしれません。しかし個人的な見解を述べるならば、FF7のストーリーは、エアリスと別れてクラウドがティファと結ばれることで完成するのではないかと僕は思うのです。何故なら、ミもフタもない話をすれば、FF7の話の本質は奔放な親友の元カノから地元のマドンナに乗り換える話なんじゃないかと僕は思うのです。

主人公のクラウドはストーリーの序盤、寄生生物ジェノバの能力によって記憶を改竄されています。夢だった特殊兵士「ソルジャー」になれなかった自分を偽って、ソルジャーである親友のザックスに聞いた話を混ぜ合わせてソルジャーになった自分の記憶を捏造するのです。ザックスは元々エアリスのボーイフレンドなんですが、そのザックスに自分を投影したクラウドにエアリスは好意を寄せます。しかし物語の終盤、クラウドの記憶の世界の深部で、彼がソルジャーになりたかった理由が明かされます。地元ニブルヘイムでみんなの憧れの的だったもう一人のヒロインであるティファ。彼女に自分の存在を見て欲しかったからという本心が打ち明けられるのです。プレイヤーの視点だと中々気付きにくいんですが、クラウドは本当はティファのことが好きだったんです。

いきなり全然違う作品の話をします。漫画『NARUTO』の主人公ナルトは物語の連載開始当初では忍者学校のクラスメートである春野サクラに好意を寄せています。しかし当のサクラはナルトのライバルであるサスケに首ったけ。ナルトはどうにか頑張ってサクラに振り向いてもらうために奮闘する・・・、というエピソードもあるにはあったんです。でも紆余曲折あって最終回ではもう一人のヒロインである日向ヒナタがナルトは結婚して二児を設けるというハッピーエンドになっています。しかしこれ、ちょっと意地悪な見方をするならば、
「え?ナルトお前サクラのこと好きって言ってたのアレは何だったの!?」
っていうことになりません?
もっと意地悪な見方をするならば、
「サクラちゃんのこと好きだったけど、俺のこと好きって言ってくれてるし、やっぱりヒナタと結婚するってばよ」
という文章化するとあまりに下衆くてゲスい、下衆ゲスな損得勘定が主人公ナルトの中で思考されていたのではないかと邪推することができてしまいます。
(一応断っておくと、これを書いている僕はNARUTOのいち読者としてサクラよりヒナタの方が好きです。それにヒナタと結婚した方がナルト本人の幸せだったのは間違いないと思います。)
ではそういう邪推や損得勘定を抜きにして、何故ナルトはヒナタと結婚しようと思ったのか。現実的に考えるならおそらくナルトは「火影になる」という自分の夢を優先したんです 。故郷の最高権力者として皆を守るために頑張るのなら、女のケツを追いかけてる場合じゃねえなって。

週刊連載のバトル漫画で人気を維持していくために、恋愛模様はクローズアップしづらかったという作者サイドの事情もあるでしょう。それでも仕事や夢を優先して恋愛にかまけるのを止めるというのは多くの男性の人生観としてリアリティがある見方ではないでしょうか。もっと極端な例を挙げるなら、ドラゴンボールの悟空です。悟空は自分が強くなるというある種の究極の「男らしさ」を追求しながらも、妻であるチチを特別に大切にする、愛しているという描写は一切出てきません。

物語に登場する「ヒーロー」には大きく2つの類型があって、1つは孫悟空やモンキー・D・ルフィのようなその豪胆さ、強さをもってスーパーマンのような英雄的活躍に観客や読者がカタルシスを得るタイプの本来の意味での「強いヒーロー」。
対して、碇シンジや、野比のび太のようにその弱さや愚かさに観る者が感情移入するタイプの「弱いヒーロー」。恋愛にくよくよ思い悩んだりするスパイダーマンなんかもこのタイプ。もちろんこの2つは明確に二分できるものじゃなくて、例えばナルトは里の嫌われ者という後ろ暗い生い立ちを持ちながら、古き良きジャンプ漫画の努力・友情・勝利と積み重ねていくという、「強いヒーロー」と「弱いヒーロー」の両方の側面を持っています。
物語の「強いヒーロー」像っていうのは元々は神話の登場人物や歴史的英雄をモデルにした、いかにも男らしい男性像で、例えば「美女を侍らせてウハウハ」みたいなことはあっても、「ある女性に恋をして思い悩む」というのは強いヒーローの文脈から外れてしまうんです。ヒーローは恋をしない。

その文脈でいうならばクラウドは物語の開始当初は自分を元ソルジャーだと思って、エアリスにもモテている「強いヒーロー」だったんですが、そこでそのキャラクター性が逆転して、ティファに恋をする「弱いヒーロー」になるんです。この弱い自分に回帰して、肯定するという一連の流れがFF7というストーリーのキモになる部分じゃないかと思うんです。

そうやってティファに思いを打ち明け、自分を「弱い主人公」として認めたクラウドが、まさに神にも等しい存在にならんとする「強い英雄」セフィロスと最終決戦で対峙する。それこそがFF7という物語の本質なのではないかと僕は思います。

また全然関係ない本の話をしますが、哲学者の森岡正博氏は自著『草食系男子の恋愛哲学』の中でこう述べています。

ここには、不思議な逆説がある
魅力的な男になるためには、恋愛についてあれこれ考えるのをやめ、自分自身をいかに人間として成長させるか、自分の夢をいかにして追い求めるかに集中した方がよいという逆説である。

男が伴侶を得るには、愛だ恋だと云々悩むのを止めて、仕事や夢を追いかけなくちゃいけません。社会的地位や、経済的優位を築かなくちゃならないのです。僕達が少年時代に憧れたヒーロー達もそうでした。悟空もナルトも多分そうでした。男らしさを求めるために、みんな努力したはずです。その男らしさのカタチは、宇宙最強になることだったり、里の最強の忍者になることだったり、お母さんを助けるためにエジプト旅行することだったりする。

でもクラウドはちょっとだけ違ったのです。

あの時エアリスが生きていてみんな笑ってハッピーエンドが観たいと思ったし、その気持ちは今も変わりません。
でも、子供の頃に遠くから見ているしか出来なかった、ティファという憧れの女の子への気持ちを思い出して、それを貫いた。

そこがクラウドのカッコいい所なんじゃないかって、大人になった今では思う。

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