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高島や、ああ高島屋、高島や。

それ「松島や」じゃね?と妹にツッコまれた。教養ある妹を持って兄として大変に嬉しかった。

それはそうと東京は高島屋へ行ってスーツを買ってきた。今年は就職活動を控えている。大学卒業から人生に迷走し続けて、アラサーにしてはじめての就活である。「いいスーツを着ろ!」なんて書いてある就活マニュアルなんてものはないだろうが、コミュニケーションが不得手な自分の心証を少しでも底上げできればと思ったのだ。

全身フルオーダーメイドのスーツを仕立てると無情にも値札には6桁の数字が並ぶ。もちろん手が出ない。だが肩幅や股下だけ採寸して簡単に仕立てる「イージーメイド」なるものがあると聞いて、それなら少し奮発すれば何とかなる価格だったので、思い切って身銭を切ってみることにした。

生活拠点になっている関東の片田舎から電車で1時間あまり、東京駅の八重洲口から降りると、なんだかこちら側は同じ東京でも池袋や新宿の方とは雰囲気が違うなと感じる。大きなキャリアケースを転がす外国人観光客も多いし、道行く人々の服装も心なしかフォーマルだ。そびえたつビル群も歴史ある重厚な城砦のように見えてくる。

駅から5分も歩くと高島屋の旧館が目に入ってきた。大きさは周りのビルに比べて小ぶりだが明らかに存在感のある建物で、フランスやイタリアのようなヨーロッパの街並みの中にあっても不思議ではない凝らされた外装。1階のエントランスから屋内へ入ると、天井が2階までの吹き抜けになっていて、柱は大理石。あちこちに休憩用の椅子がおいてあり、身なりの良い老婦人や子供連れの夫婦が座っている。まるでホテルか美術館のようだった。

古めかしいエレベーターの前にはなんとエレベーターガールがいた。生まれてはじめて生で見たエレベーターガール。バッチリとした濃い目のメイクに、完璧な接客用の声のトーン。太古の昔に絶滅したと思っていたが、こういう場所に生息しているのか。階数のボタンぐらい自分で押せばええやんとも思ったが、こういうコミュニケーションするための人員を割ける余裕があるということなのか。3階より上のフロアに上がっていくと、エスカレーターの型や、天井の低さに建築デザインの時代を感じた。ここが建てられた時には自分は生まれてすらいないのに何処か懐かしいと思ってしまう。子供用のおもちゃ売り場はテレビゲームの類は少なく、人形やロボットの大きな箱が陳列してある様子すら上品に感じられた。3月が近いためか、ひな人形の展示をしていた。他にも浮世絵や6、7桁の値段を超える骨董品のツボや、僕がこれからの人生で一生縁がないであろう高級アクセサリーの数々。こういったものに惜しまずに金銭を投入できる人々が日常的にこの場所に来るのだろう。

僕のスーツを採寸してくれたのもこれまた身なりの良い年配の男性であった。制服は支給品だろうし、スーツのデザインに詳しいプロという印象ではなかったが、定年後の延長雇用で働いているのか、もしかしたら派遣社員だったのかもしれない。「お金が無い」「仕事が決まらない」という嘆きばかりが聞こえてくるこの時代で、ここで働く人々にもそんな負の経済の波は押し寄せてきているのだろうか。

高島屋を後にして、東京駅からひと駅歩いてみた。お茶の水にある美味しいと評判のラーメンを食べに行こうとしたのだ。車の多い幹線道路沿いを歩くと、視界の空の割合が少なくならんばかりに巨大なビルが立ち並んでいた。ビルのガラスがテニスコートよりも広い長方形の鏡になって西日を反射しているのが眩しかった。新宿や渋谷にあるビルは近代的でシステマティックだが何処かほっそりとしている。僕は東京のどっしりと構えるビルの方が格好良いなと感じた。この厳かな城の中で粛々と働き続けている人々が、今も昔もこの国を動かし続けているのだろうなと思う。インターネットが世界を繋ぎ、人々が日夜、罵詈雑言の応酬や、勝ち組負け組と煽り合いに血道を上げても、この東京の巨大なオフィスビルの中で働く人々こそがこの国の心臓であり脳幹であり、支配者であることは変わらない。有象無象の争いになんかに興味も無い、絶対的な勝ち組。

採寸したので当然だが、受け取ったスーツは僕の身体にしっかりフィットした作りになっていたことにちょっとした感動を覚える。量販店の流行りの細身のスーツとは違って、肩幅やウエストには若干の余裕があって、生地は今まで着ていたスーツにはない光沢を放っている気がした。これを着ていれば少しは男らしい風格が出てくるかも知れない。

今回僕が手に入れたスーツは、僕の人生のいわゆる「最終装備」になるだろう。「ロトの鎧」とか「天空の鎧」みたいな。ドラクエは5が一番好きだから、「王者のマント」にしておこうか。もっと高級なスーツも当然あるが、自分にはこれくらいが限界点だし、充分だった。格差社会が極まって、情報や教育はおろか、着るものや食べるものも「一流の商品」は上位階層の人々の間だけで流通するようになった。お金という大きなリソースを持っている人だけが、良い商品にアクセスできる。逆にお金が無い人々は、300円の牛丼の割引のために行列をなしたり、店員の態度に難癖をつけたりする。

僕が自分的に少なくないリソースをはたいて、このちょっと良いスーツを手に入れたのは、ある意味でこの社会を支配する上流階級への反逆と言えないことも無いんじゃないかと思っている。高島屋というダンジョンに潜入して上流階級の人々が着ているちょっと良い装備を掠め取ってきたのだ。もちろんお金は払ったが。田舎者が東京でスーツを買っただけでテンション上がり過ぎだろうと言われればその通りなのだが、このちょっと良い装備で就職活動を頑張って、よりよいポジティブな人生のリソースが手に入ったらいいなと思っている。

ちなみに、ひと駅歩いて辿り着いたお茶の水のラーメン屋は閉まっていた。夕方15時から18時までは営業していなかったのである。くそう。

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