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国際結婚したブスな友人の話

僕の大学時代の友人にアメリカ系の白人男性と国際結婚した女性がいる。
「欧米の白人男性は素晴らしい!それに比べて日本の男はクソッタレ!」みたいな差別発言を繰り返すヒステリックな女性を想像する人もいるかもしれないが、全くそんな人物では無く、むしろ彼女は僕を支えてくれた人だった。

一般的な夫婦らしく、ほどほどにケンカもするし、彼女の旦那は、背丈は日本人の平均身長よりもやや小柄な僕よりも少し高いくらいで、体格もひょろりとした痩身で、最近では「インフィニティウォー」の時のキャプテンアメリカのようなヒゲをたくわえ始めている。(言っちゃ悪いが)いわゆる典型的な白人男性のイケメンマッチョでもなかった。
スターウォーズシリーズの大ファンで、僕は彼と会う度にカタコトの日本語とカタコトの英語でアベンジャーズシリーズの話題で盛り上がっている。おそらく向こうで暮らしていた頃は、「ギーグ」とか「ナード」などと言われる、僕と同じインドア派の人種だったのだろう。

「イケメン過ぎないのがちょうどいい」のだそうだ。したたかな女である。

学校の先生をしているのだが、大学卒業後に新任で入ったクラスの生徒たち曰く「AKBで例えたら指原(芸人枠)」と言われたそうだ。

大学時代、指原に向かって僕はこんなことを言ったことがある。

「指原さんって、服のセンスも悪くないし、後ろ姿だけ見たら美人っぽいのに、正面から顔見たらガッカリしちゃうね!」

同級生の女の子にこんな発言をしてしまう大学生の頃の僕の社会性がいかに壊滅的であったかを象徴するエピソードでもあるのだが、指原の容姿に関する評価については、学友の男性陣の意見は概ね僕と同じであったように思う。そして更に驚くべきことは、そんな無礼極まる発言をしておきながら、指原と僕が大学時代から卒業して今までずっと友人関係が続いてきたことだ。

僕の大学の専門科目の授業では期末テストの順位が学内の掲示板に張り出される。指原の本名はいつもその掲示のトップを飾るのが当たり前だった。僕はと言えば、どんなに頑張っても指原の次点に着けるのがやっとだった。

指原と僕の共通の友人で会った女性に僕がフラれて、情緒の不安定さが最高潮になって学校の誰もいない準備室でめそめそと泣き崩れてしまった時もあった。

「もう駄目だ。あの娘にも二度と会えない。俺には普通の人がみんな持ってる愛されるために大切な何かが無いんだ。」

大学卒業後から現在に至るまでも、決して僕の心から離れることのなかった不死身の悩みを漏らすと、その時指原は言った。

「そんなこと無いよ!中野君は手もある。足もある。目も鼻も口もついてる。みんなと変わらないよ!」



僕がその後もどんなに絶望的に女性にモテなくても、
「女という生き物は全てが卑しいクソッタレだ」という考えに落ちていきそうな、ギリギリの所で踏みとどまっていられるのは、彼女から貰った優しさのチカラだろう。僕を男性として、セックスという形で承認してくれる女は今まで只の一人もいなかったが、人生に絶望して這いつくばる僕に手を差し伸べたのもまた女だった。

もし世界が滅亡して地球上の男と女が僕と指原だけになったとして、指原と男女の関係になれるかと問われれば、「うーん、どうすっかなー」と躊躇する程度には指原は不細工だったが、彼女は僕が今まで出会った女性の中で最も教養高く、人格者で、善人の魂を持っていた。

おまけにハワイで数年前に挙げた結婚式では「ご祝儀とか要らないから、とにかく来て!」と言われ、飛行機ホテル代も全て貸しにしてもらった上に、その貸しは今でも完済し切れていない。もはや頭が上がらない。

結婚式の少し前に生まれた指原の息子は、二言語の家庭環境によって立派なバイリンガルに育っている。夏休みや年末年始など、年に数回、指原一家に会うが、僕は親戚のおじさんよろしく、彼女の息子の成長を見守っていくのだろうと思う。僕自身は将来、結婚したり、子供を残すこともできないかも知れないし、例えば明日、核戦争が起こってモヒカンがバギーを乗り回すヒャッハーな世界になった方が面白いという態度をとることもできるが、親友の息子がこれから成長して生きていくこの世界が、より良いものになって欲しいと願うこともできる。誰かに貰った優しさのチカラで。

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